匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

大柄で育児中な私は、ときめきでは服を捨てられない

世の中は、素晴らしい片付け本であふれている。

私も片付けに関する本を10冊は読んだ。

その中でもおそらく有名な本である『人生がときめく片づけの魔法』byこんまりさん。

私も買った。紙でも電子書籍でも買った。

うなずける部分もある。尊敬もする。この本を忠実に実行すれば、きっと片付くんだろうな、と説得力も感じる。


けど、いろんな意味で今の私には無理だった!!!


こんまりさんいわく、順番を守らないと片づけは失敗するとのこと。


その順番は、服 → 本 → 書類 → (以下略)


というわけでまずは服なんだけど、さっそくここで挫折。

服は難易度が低めで四天王の最弱らしいが(こんまりはそんなこと言わない)、むしろ私には難易度が高かった。

今回は、そうなった個人的事情や言い訳を書き連ねたいと思う。


こんまりメソッドでは、選択基準が「ときめき」。


ときめきといったらメモリアルな私には最初からよくわからないので、とりあえず「気に入っているか」とか「着ると気分が上がるか」みたいなふうに変換してみた。

気に入っていた服、なら少しはわかる。

先日、気に入っていた仕事着2着に穴が空いて、泣く泣く処分したばかりだ。

ただでさえ一軍の服が減っているので、これ以上捨てたらたぶん仕事に行けない。

これ以上捨てたら、オバQかと陰口を叩かれるほど毎日同じ服を着ることになると思う。

決してジョブズだとは言われない。だってそれ陰口じゃないし。けどオバQも人生は私より成功してそうだな。すみませんQさん。


そもそも、服のことを考えるのが好きじゃない。

縦も横もビッグな私は、服を買いに行っても体型のせいでサイズがないし、体型のせいで試着も面倒。

自業自得だけど、服を買いに行ったり、ファッションのことを考えるのはすっかり苦行となった。


10年ほど前、自分のサイズがあってデザインもけっこう好きな服屋を見つけて、ファッションを楽しむ人の気持ちが少しわかったけど、基本的には面倒くささが先に立つ。


そして昨年、その店は婦人服から撤退した。

私は、ただでさえおぼろげだったときめきを見失った。

あとストッキングやタイツにときめける自信がない。


こんな状態なので、もし服を捨てすぎてもすぐに代替のものが買えるとは思えない。

また育児中なので、服を買いに行く時間がない。

行けたとしても、試着中におとなしくしていてくれない。2歳児はノンストップ GO GO GO。


さらに育児中なので、わりと気に入っている服はたいてい、子供と遊ぶときには着られない。

今は着られない、でも気に入っている、という服はそこそこある気がするんだけど、ときめき?基準にしたらそれは捨てられないものになるのではないかと思う。

こういった意味でも、服をあまり減らせない。


また、センスがないので、似合う服と着たい服が一致しない。


年齢も絶妙に微妙なお年ごろ。ところであれ何なの、いい年になったらそれなりにいい服を着なさいってやつ。年齢と収入が比例しない人間には無理ゲーだろ。

さらに、子供を産んだら体型も顔も変わるというのが定説らしいが、そんなものがわかる才能を持ち合わせてはいない。

自分(のファッションセンス)が信じられないので骨格診断を受けたら、ほぼすべての飾り袖が似合わないという結果になった。

あと「これは気に入ってるし似合う」と鉄板扱いだった袖の形も骨格に合わないことがわかり、自分の趣味と骨格が乖離していることも証明されてしまった。


以上より「ときめき」で服を捨てるのは、私には致命的に向かないと言える。


ダメ押しで、私は非正規雇用なので、数年おきに職場が変わる可能性が高い。

これまで数多の職場にお邪魔してきたが、オフィスの気候は会社によってかなり違う。

現に今は寒い職場なので冬服が手放せないが、冬服が不要だと感じる職場も少なくない。


つまり働いている以上は最低限、仕事に行く服が必要なので、ときめきより計算が私には必要だと感じてしまう。

とくにストッキングやタイツはある程度持ってないと困ると思う。

あとストッキングやタイツにときめける自信がない。


というわけで、ときめきメソッドにツッコミを入れるつもりで読み返したこんまりさんの本。

やっぱりめちゃくちゃ合わない部分も疑問もあった。

けど、読んだら少しずつでも片づけたくなってくるのが、この本のいちばんの魔法かなと。