匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

短気は本では治らない

短気なので本を読むことにした。



と書くと、自己啓発系の本で短気を治そうとしているようだが、そういうわけではない。これまでの人生、こらえ性がなさすぎて何度も痛い目を見ているのだが、それでも治らないので、本くらいではきっと無理だ。

かの手塚忍先輩がインタビューで自分の欠点を「結論を急ぎすぎる」と述べていたが、まさに私のことだしそもそもあの人はそれを欠点だなんて思っちゃいない(自明)が、それはさておき。



とくに苦手なのが、相手にボールがある状態で返事を待つ、というシチュエーションである。

たとえばバイトや就職の面接で「後日、結果を連絡します」と言われたとする。私は面接終了直後から脳みそフル回転で、その仕事ができない理由ばかりを探す。結果、その仕事をする自信がなくなり、自分から断ってしまう。しかも何度もやっている。懲りない。先方にとっては、面倒な人材を採らなくて済んで幸いだったと思う。



近いうちに悪いことが起こりそうな気配があると、それだけで頭がいっぱいになってしまい、何も手につかなくなるのである。いやなことばかりを考えて時間を過ごすのは損だとわかっていたものの、性格的なものだからどうにもならない、と思っていた。



けれど、もっと損を痛感する出来事が起きた。ストレスが原因で病を患い、比較的大掛かりな手術をすることになったのである。

物理的な痛みに弱い私は、就職活動で損をすることよりも、これが何より効いた。麻酔があるとはいえ、麻酔の注射自体が痛い。点滴も痛いし導尿も痛い。部分麻酔だったので、手術自体も痛みと恐怖がすさまじかった。もちろん術後の傷も痛いし、医療費や入院中の給与明細も痛かった。



手術は成功したものの、なにか手を打たねばまた病気になりかねない、と焦った。対症療法でも良いから、早急になんとかする必要があった。そして性格を直接なんとかするより、「いやなことばかりを考えて過ごす時間」=「心身にストレスがかかる時間」を減らそうと考えた。



そこで、いやなことを考えてしまいそうなときは、本を読むことにした。とくに昔から好きだった小説や漫画が良い。新しい作品を読んで脳を回転させるのも手だが、ダメージを受けた脳にさらに負担がかかるし、自分好みの作品ではなかったときに余計に落ち込む。

昔から好きだったものなら、だいたいのストーリーはわかっているし、読んでいて不快感がない。没頭できるものなら何でも良いので、ゲームでも良いのだが、ゲーム機本体が必要になるので、手軽さには少し欠ける。



というわけで先日、昔アホほど好きだった『幽遊白書』を電子書籍で買い直した。精神的ダメージに関係なく、久しぶりに読み始めたが、やはりおもしろい。

ところで冨樫先生の現在の作品も評判が高いのは知っている。が、短気な私はきっと休載が待てないと思うので、完結してから読むつもりで読まずに待っている。



まったく知らない状態なら待てる、と思っていたのだが…さて、いつまで待てば良いのやら。