匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

冬の入浴の億劫さを適当に数値化した

冬の入浴頻度について、社会人としての理想と自分の理想に食い違いが激しい。



夏はシャワーで済むからまだいい。それに引きかえ冬は、服を脱ぐのが寒いし、湯船につかる時間が必要だし、湯船につかっている時間はぼんやりする以外なにもできない。ぼんやりしているのでリラックスはしているのかもしれないが、リラックスしたくてしているのではない。他のことに充てたかった時間を、無理やり風呂に使わされているような気分になるだけなのだ。



夏と冬の風呂の効果を点数化してみた。あくまで個人的基準であり、その精度は神聖モテモテ王国の二枚目ハーンの検算くらいだと思っていただきたい。わからない各位は読んでみていただきたい。



夏は風呂前には汗をかいている。シャワーをすることにより、自分はすっきり、他人は匂いに悩まされずに済み、自他ともに利益を得られる。自+他でプラス20点。服を脱いで寒い、というマイナス要因もない。シャワーだけならさほど時間もかからない。ボーナスポイント5点。25点をたたき出す。



冬は風呂前に切実感はさほどない。風呂に入ることで自分が得られる精神的メリットはない。血行面で1点だけプラスする。他人が得られる効果も、匂いが夏ほど厳しくないはずなので1点、あってもせいぜい2点ほどであろう。風呂に入って服は脱ぐと寒いので、それだけでも労力や勇気が必要。湯船につからないと寒いので時間はかかるし、風呂上がりの効果はマイナスからゼロになっただけ、という気がする。爽快感はないし、外に出るために最低限の準備ができた、というだけだ。マイナス1点から0点くらいの効果に感じるので、冬の入浴は1点くらいしか効果がない。計2点。実に夏の12分の1くらいの効果しかない。気持ち的にはマイナスをつけたいくらいなのだが、正の数になっただけでも褒めてもらいたいものである。誰にだ。



社会人として、夏も冬も仕事の前には風呂に入ることにはしているが、冬の休日は多くとも2日に1回にしたい。個人的にそう感じているところに「子ども」という条件が加わると、状況は変わる。さらに悪いほうに、である。



ただでさえ風呂が好きではないとこにもってきて、子どもを風呂に入れるとなるとさらに難易度が増す。以前も書いたが、我が子は入るのも出るのもいやがる。イヤイヤ期はおそらく抜けたけれど、こちらのHPやMPは多少なりとも削られるし、時間も取られる。さらに我が子は保育園の連絡帳に「風呂に入れたかどうか」を書く欄があるので、入れないわけにいかない。義務感がさらに負荷となる。



夫は風呂好きで、私自身が風呂をさぼろうとすると眉をひそめるタイプだ。息子を入れないとなるとさらにである。夫自身は風呂が好きなばかりに、体調がいまいちなのに長風呂をして湯あたりしているくらいで、私にとっては理解不能だ。が、体調がすぐれないのに「酒を飲めばなんとかなるかもしれない」と酒を飲む私が言えた義理ではない。
それはさておき、夫が子どもを入浴させればだいぶ丸くおさまると思う。けれど、最近の我が子は私と入りたがることが多く、うまくいかない。



以上をつらつら考えたのは休日前夜、「我が子を風呂に入れてほしい」という要求を夫に断られ、静かにブチ切れたあとだった。



翌日が休日なので、自分も子どもも無理して入浴しなくて良いだろう、という気分だった。だが夫が風呂好きなので、夫が子どもを入れてくれるならまあ私も入っておこうかな、程度に考えていた。自分ひとりの入浴ならば、残りのHPMPでもなんとかなりそうだった。



夕食前に夫に要求を伝え、夫がいったんはうなずいたので、私はもう我が子の入浴から解放された気分で過ごした。夕食を終え、一人で入浴する旨を夫に伝えたとき、夫が「ごめん、湿布を貼っちゃったから息子をお風呂に入れられない」と言い出した。私は「そう」と答え、苦情も不満も口には出さなかったが、無表情だったと思う。内心は激昂していた。



ただ、激昂するということは自分の逆鱗がそこにあるということだと思った。それまでそこをじっくり考えたことがなかったので、それこそ風呂につかりながら「なぜ自分はそんなに腹を立てたのか」と考えた。



その結果が上述のとおりで、私は「自分は入浴が好きではない」ということに遅ればせながら気づいたのだった。
後日、母に「私って昔からお風呂をいやがってた?」と尋ねたところ、その通りだという回答を得た。母にとっては今さらな話だったらしい。私はあまりにぼんやりと生きてきたなあ、と痛感するとともに、自分を振り返る良い機会となった。



入浴に対する自分の感情をひもとくと、素数を数えるよりも気持ちが落ち着いた。
しかしそれはそれとして、私はその夜ふて寝したのであった。