匙を投げたいけど

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面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

童話から間違った教訓を得たかもしれない

グリム童話に「まっしろ白鳥」という話がある。自分が読んだ本では「ぼろっくずの鳥」というタイトルがつけられていたので、あらすじを探すのに苦労したが、どうやら「まっしろ白鳥」のほうがメジャーなタイトルらしい。あらすじは、おそらくWikipediaのほうがわかりやすいし全体が載っているが、ここで前半だけでも要約してみる。



ある家の三姉妹が上から順に、物乞いに扮した悪い魔法使いの男にさらわれた。上二人が帰ってこないまま末娘もさらわれる。さらわれた先はわりと豪華な屋敷で、末娘は魔法使いから卵を渡される。魔法使いは「この卵は肌身離さず持っているように。数日留守にするから、この屋敷のどこを見て回っても良いが、一室だけ入ってはいけない部屋がある。その部屋に入らないという約束が守れれば、結婚して豪華な生活をさせてやろう」みたいなことを末娘に告げる。豪華な生活くらいで誘拐犯と結婚を選択するだろうかという疑問はさておく。



末娘は卵を箱に大切に保管し、禁断の一室にも入ってみると、姉たちや他の女性がバラバラに切り刻まれて大きなたらいの中に浮かんでいた。姉たちの身体をきちんと並べると生き返ったので、末娘は姉をかくまい、魔法使いの帰りを待つ。帰宅した魔法使いが末娘に卵を出させると、卵はしみひとつなく綺麗だったので魔法使いは非常に喜び、末娘との結婚を決める。ちなみに他の娘は禁断の一室に入ったときに驚いて卵を取り落とし、血の染みが消えずに入室がバレて殺されている。



というのが前半である。このあとなんやかんやで魔法使いは屋敷もろとも焼き殺される。



幼心にこの話を読んで、最後は安心するものの、怖かった記憶がある。読んだ絵本の挿絵のタッチが私にとって怖かった、というのもある。これを読んで、自分はこの末娘のように賢くはないから、もしこういう目に遭ったら屋敷内を見て回ることなく、卵だけを抱えてじっとしていよう、と心に決めた。とにかく行動さえしなければ、少なくとも殺されずに済むのではないか、と思った。自分が良い結果につながる行動を選択できる自信がなかったので、何もしなければそれ以上は悪化しないはず、という教訓を得たのである。その教訓は、のちのちの自分の人生にも影響した。とにかく怖い目に遭いたくない一心だった。



こうして、自分の人生の行動(しない)指針に影響を及ぼした教訓だったが、その話から得たということは忘れていた。最近、わけもなくその話を思い出した。そしてもしかして自分が得た教訓は間違っていたかもしれないと思った。



行動をしなければ、自分の命だけは守れるかもしれない。けれどそうとも限らないし、自分の子供や後進のためには失敗例だとしても行動することは必要なのだ。失敗例の蓄積にもなるし、場合によっては失敗例のほうが役に立つことだってある。もちろん「いっそ行動しなきゃよかったのに」ってことだってあるけど、それは失敗例として参考になるかもしれないし、事前によく考えればわかるかもしれない。とにかく、行動がいけないのではなくて、行動の結果の予想を立てたり対処法を考えてから行動すべき、というほうが教訓にふさわしかった気がする。



ところで末娘、バラバラ死体をきちんと並べて生き返らせるとか、度胸ありすぎである。生き返らせるっていうのはちょっとよくわかんないけど、それができるなら末娘のほうが魔法使いを名乗れる気がする。しかもこの話の魔法使い、誘拐するときにしか魔法を使っていなかった気がするし、卵を汚した娘を引きずっていくのも背負いかごも自力だし。魔法の意義とは。