匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

何が好きかで自分を語りたいけど意外と難易度が高い

以前、週刊少年ジャンプの『ツギハギ漂流作家』という作品で「何が嫌いかじゃなく何が好きかで自分を語れ」というセリフがあった。これを見たとき感銘を受け、当時書いていたWJ感想ブログで言及した記憶がある。



ただ私は、「好き」を表明するのは意外に難しいと感じている。今回はかなりこじらせて面倒くさい内容であることを予告しておく。あと同人腐女子界の用語なども出てくるので、わからない人には不親切な内容になることもあらかじめ記しておく。



食べ物については、けっこう簡単に「好き」を表明できる。語れるような知識の深さや、違いのわかる舌の敏感さはない。が、「メニューが何種類かあったら、これを選ぶ回数が多いかな」くらいの気軽さで「好き」と言える。



これに引き換え、趣味は掛けた時間や手間や金額で他人と比べ、まだまだだと感じてしまう。上を見ればきりがない。基準が自分の中にないため、おいそれと「好き」を表明できなくなってしまうのだ。



たとえば私は、自分の中では他の行動に比べたら本を読むことは好きだと思う。けれど本当に読書が好きな人は、図書館の常連で、本を1週間で5冊以上読んだり、難しい本を読んだり、内容の解釈も深くできているし、本で家中があふれかえっていたりするというイメージがある。

それに引き換え、今の自分は図書館も半年に一度行くか行かないかだし、毎日は本を読んでいないし、軽く読める本や理解しやすいジャンルしか選べていないし、内容もたぶん半分もわかっていないしすぐ忘れてるし、紙の本も(半分くらいは電子書籍で買い直したが)、どんどん手放している。読書が好きだなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて名乗れない。



またさらにこじらせているため、好きな対象にも勝手に引け目を感じてしまう。

たとえば自分が、とあるアイドルファンだったとする。私は、大御所俳優ファンに引け目を感じてしまう。そして大御所俳優と好きなアイドルが同じ舞台に出ることになり、自分が偶然良い席を取れてしまったりする。そうすると大御所俳優のファンのほうが偉いのに自分が良い席を取れてしまうなんて申し訳ない、と思ってしまうのだ。好きな対象にも失礼な話である。



わかりやすくアイドルや大御所ではなくとも、自分と違うものが好きな人を見ると、自分のほうが劣った趣味なのかと引け目に感じていた。局地的な話題すぎて申し訳ないが、同人腐女子界隈でもよく感じていた。



私は攻受固定CPが好きだったけれど、リバーシブルOKの人を見るとそちらのほうがCPを深く愛しているのではないかとか、キャラ単品を愛する人を見ると、CPありきで愛している自分が劣っているのではないかとか、けっこう王道シチュエーションが好きなのだけれど、いろんなシチュエーションを読んだり描いたり書いたりする人のほうが、CPを表面的ではなく深く考察して解釈して好きなんじゃないかとか、引け目を感じることが多かった。ジャンル自体もマイナーよりメジャーが好きで、自分は理解力に乏しいからわかりやすいものを好きになってしまうのかもなあ、と引け目に思っていた。

さらに自分が新参の場合、いつまでもそのジャンルが自分の居場所ではない気持ちにとらわれてしまう。先達に引け目を感じて、気軽にジャンルに飛び込むこともできない。腰が重くなる。



これによって何が起こるかというと、趣味は楽しみではなく、義務感にとらわれて触れるものとなる。はまり始めは勢いだけがあって他のことを考える余裕がないが、あるていど深くなってくると「自分なんてまだまだだし」とストレスがたまってしまう。もっと深く突き詰めなければ、と楽しくなくても金や時間を使うことになってしまう。ストレスもたまる。義務感が募り、楽しみのための趣味ではなくなってしまう。「好きだと名乗る権利を努力して得なければ」みたいな強迫観念にとらわれてしまう。趣味なんだからもう少し軽率にいきたい。



ちなみに、この考えは自分に対してのみで、他人にはその尺度を用いないようにしている。が、ついその考えが出てしまっている部分もあるだろう。そういう老害的考え方がジャンルの衰退につながるので、自分にも他人にも寛大になることが必要だとは考えている。それでも、いわゆるにわかファンに抵抗を感じてしまう、よろしくない習性はある。しかし、それをよろしくないと考えることと、何も思わずに抵抗感だけ示すことでは、前者のほうがましだと私は信じる。



食べ物はたとえばジャンクフードが好きでも、「そういうものも楽しめたら人生の楽しみの幅が広がるだろうな」などと鷹揚にかまえることができる。なのに、こと趣味となるとなかなかそうは思えないのが不思議だ。我ながら面倒くさい。



なので趣味も「自分の行動の選択肢がいくつかあったら、この行動を選ぶ回数が多いだろうな」「いくつか作品があってひとつだけ読む時間があったらこの作品を選ぶ頻度が高いだろうな」くらいの気軽さで好きと言ってみたい。人生は楽しめること(ジャンル)がたくさんあったほうが良い。人にもそれを許したい。少しずつ練習していきたい。



必要なのはきっと、練習だけではなく、同人なんだからと自分の嗜好に突っ走ってみることや、自分の不要な引け目と決別することもそうだ。できれば自分の気持ちを確立するまで、違う意見や嗜好の持ち主とも付き合わないほうが良いのだろう。今は育児中で人付き合いをする時間がないから、ちょうど良いかもしれない。



ところで冒頭のツギハギのセリフはたしかに名言だと思うのだが、実際に私と長く続いている友人知人や夫は、「きらいなものが似通っている」というパターンが多い気がしている。