匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

今も昔も怖い「休みの日は何してる?」

「休みの日は何してる?」という質問。「趣味は何ですか?」も同類。オタクであることを隠していた自分(バレバレだっただろうが、それはさておき)にとって、長らく避けたい問いだった。出産後はオタク活動に時間を割けないから平気になるかと思いきや、違う意味で避けたい問いになっていることに気づいた。



さて最近、職場に新人さんがやってきた。時節柄オンラインだったが歓迎会があり、趣味や余暇の過ごし方の話題になった。一人ずつ自白……もとい発表させられる中、私は「育児中なので、毎日忙しくて何もできませんね」と華麗にスルーした。つもりだった。



そこでうちの敏腕上司は見逃してくれず、「時間があったら何がしたい?」とさらに突っ込んできた。しかしこの問い、かなり残酷なのである。少なくとも私にとっては。



一時期「名画で学ぶ主婦業」というハッシュタグTwitterで流行していて、私も楽しくそしてうなずきながら眺めていた。このハッシュタグのネタは笑えるけれどその裏には大きく深い悲哀が隠れているよなあ、と泣き笑いのような気持ちになったのをおぼえている。



この一連のネタの中に「突然ひとり時間をもらってカフェに来たけど手持ち無沙汰で晩ごはんのメニューを考えている女性の絵画」(※違います)があった。今回、余暇の過ごし方を問われたとき、この絵画を思い出した。(画家さんごめんなさい)



時間ができてとっさにやりたいこと、したいことを思いつかないのは、やりたいことがないからじゃない。それを沈めて容易には浮かばないようにしておかないと、つらくて耐えられないからだ。



やりたいことを心の支えにして生きるのももちろん良いことだと思う。が、育児は突発的なことがいくらでも起こる。数週間や数ヶ月、何なら数年かけて「この日は時間を作って○○をやろう」と計画していたその時間が、家の用事や育児にあっさり乗っ取られてしまうことは珍しくない。こういうことが続くと心が折れる。つらい気持ちを抱えたまま家事育児をやるより、いっそ「○○をやろう」という希望を捨ててしまったほうがましだ。そう考える諸氏の気持ちの推移が、私には手に取るようにわかる。心当たりがありすぎるから。



だからそうやって希望を沈めてきた人間に「休みの日は何してる?」のみならず、「時間があったら何がしたい?」とさらに考えさせるのは残酷だなあ、と感じたのである。



ちなみに、そのときとっさに「飲んだくれたいです」と当たりさわりのない回答ができた自分はGJだった。うっかり「薄い本を読み書きしたいです」などという本音を言わずに済んだのだった。めでたしめでたし。