匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

ACの対面セラピーを受けたが合わなかった話

とかくこの世が生きにくい。
というわけでアダルトチルドレン(広義)のためのカウンセリングのようなセラピーのようなものを受けてきた。「ような」と書いたのは、私が素人のため、それがカウンセリングなのかセラピーなのかわからなかったからだ。いずれにせよ、私には合わないようだった。



結論としては上記なのだが、この場所は備忘録という性質が強いので、思ったことやその過程を記しておく。



私は何かと不器用である。空気を読みたいが、読もうとして空回る、いわゆるイタい人種だ。



そのためか生きづらさを感じ、いろいろ調べているときに、「アダルトチルドレン」略してACという単語に行き当たった。ACかどうかの診断もあり、かなり当てはまった。が、ACは本来はアルコール依存症の親に育てられた人を指す語だという。その後すこし単語の意味が広がり「機能不全家族で育った人」も指すようになったらしい。



しかし、自分の育った環境はどちらにも当てはまらないため、本当にACなのか、というところでまず引っかかった。ACかどうかの診断結果は、私がACである可能性があると示していたが、育った環境がそうではないため、私が生きづらく感じるのはただの甘えや能力不足なのではないか、とためらった。
ただ、親がACだと子供にもつらい思いを連鎖させることが多いと書いてあり、私は震え上がった。ただでさえ育児がちゃんとできていない自覚があるのだ。ACだったら早急になんとかしなくてはならない。我が子に連鎖させてはいけない。



「ACであるかどうかの診断」と「生きづらさをなんとか改善したい」という希望。これを解決するため、私はとある対面カウンセリングの扉を叩いた。以前行っていた対面カウンセリングではなく、メールカウンセリングでもなく、新規のカウンセリングルームである。



※以前書いた、カウンセリング関連の記事はこちら
対面カウンセリングとメールカウンセリングのメリット・デメリット
メールカウンセリングを受けてみたら良かった話~相談相手を選ぶ編
メールカウンセリングを受けてみたら良かった話~受けてみた編



ホームページを見た限りでは、とても自分と合いそうだった。が、期待しすぎたのか、実際はそうでもなかった。合わないと感じた理由を考えたところ、以下4点が思い浮かんだ。



  1. 期待が大きすぎたこと。とくに時短で解決できることに期待しすぎたこと
  2. 共感というプロセスがほとんどなかったこと
  3. ACかどうかのはっきりした認定がなかったこと
  4. インナーチャイルドセラピーになじめなかったこと


理由1については、前述のとおり、ホームページで期待しすぎたのだと思う。また、限られた時間での解決を目指すという方針のカウンセリングルームだったため、理由2の「共感」というプロセスも省かざるを得なかったのだろう。



※どうやら私は共感されないと前進できないタイプなのだと悟った過去記事→むだぐちを反省した



理由3は、ACだと認定されたらそれで安心して治療(?)に専念できるのかと思ったのだが、そのへんはふんわりしていて、自分がACなのかどうか確信を得ることはできなかった。
あとからいろいろ読んでわかったことだが、ACは医療用語ではないらしい。だからむしろ、AC認定をはっきりとしなかったそこは誠意があったのだろうと思う。よからぬところだったら、私をACだと断じ、さらに治療費を巻き上げてもおかしくなかったのだ。私には合わなかっただけで、ちゃんとしたところだったと思う。



※認定が欲しかったことについて、さらに掘り下げて書いた記事がこちら→ お墨付きが欲しい



理由4のインナーチャイルドセラピー。かわいそう?だった自分の子供時代を想像し、それを癒してあげるという、おそらくAC治療でメジャーな方法っぽい。これはなんというか…どうしても納得いかないというか、恥ずかしさが先に立つというか、うまくイメージできなかった。不届きなのだが、「茶番だなあ」と頭のどこかで思いながらやっていた。演技していたと言っても良い。私はそのセラピーに向いてなかったのかもしれないし、実はそんなのいないのかもしれない。自分がACじゃないからそんなのは最初からいないのか、掘り下げが足りないから出てこないのか、それはわからない。



そんなこんなで、今回はなんともすっきりしない結果となった。



ただひとつ、良かったことがある。カウンセリングに頼ってばかりではいけないな、と痛感したことだ。
「お金をかけたんだから(しかも自分にとってはけっこうな額)」という期待感が大きすぎて、お金を払っているのだから楽して治してもらおう、と他力本願な考えを捨てきれずにいたように思う。こういうことは、お金もかかるし、自力でもがんばらなければならないのだろう。お金をかけるのは「楽して解決できる」というよりは、「専門家によって少しだけ近道が見つかる」程度に考えていたほうが良さそうだ。
そして、そう思わせてくれた今回のカウンセラーさんは優秀だったのではないか、と考えたのである。