匙を投げたいけど

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面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

桃色に片思い

現在の私の色の趣味年齢は、推定3歳女児レベルである。気づいたらピンクの小物ばかり持っている。いちばん好きな色、というわけではないのだが。



幼児期でいちばんネガティブな思い出は、ピンクの自転車を買ってもらえなかったことである。買ってもらえなかったという出来事自体より、そのときに感じた悲しさ、悔しさ、もどかしさ、虚しさ……といったネガティブな感情を、とても強烈に記憶している。代わりに買ってもらったのは黄色の自転車だったが、おかげで黄色への好感度が下がった。今でもあまり好きではない。ただ、蛍光の黄色はむしろ好き。(また果物のときのように面倒なこと※1を言い出した)

※1:果物が苦手だが香りと焼酎の果汁割りは好き、などと勝手なことをほざいた記事→果物が苦手、というマイノリティの意見表明



以来、自分で学校などで色を選べるときは、むきになってピンクを選んでいた気がする。そのピンクがあまりツボに入る色ではなくても、デザインがいまいちでも、ピンクを選んでいた。
しかし家やプライベートでは選ぶことは避けた。ピンクが好きだとも言えなかった。ピンクを選ぶと母からいい顔をされない、とインプットされてしまったのだ。おそらく私は、このあたりでピンクへの片思いをこじらせたのだと思う。



さらに私を混乱させたことに、ある程度成長してから「あなたはピンクの服が似合うと思うから、ピンクを選べば?」と母に言われた。ピンクを避けてきた自分にとって驚天動地の出来事だった。



似たような話で、私は自力で髪型をどうにかできるまで、伸ばすことも許されなかった。はっきりと自覚したわけではなかったが、ピンクのこともあり、私は女子らしくしてはいけないのだろうと感じていた。



髪を伸ばせなかった理由はふたつ。母自身が昔から髪を伸ばしたくなかったのに長くさせられて女子らしくさせられていたのが嫌だったことと、母が多忙だったために私の髪を結うなどの労力を割けなかったことだそうだ。これらの理由はそこそこ早く聞いたし、納得もできた。そして私は自分で髪型を選べるようになってからはずっと、髪を伸ばしている。



ただ私は、自転車を買ってもらえなかった記憶がとても悲しかったことは伝えたが、なぜか理由はずっと聞けなかった。尋ねれば教えてくれたのだろうが、自分からは聞けなかった。自転車の思い出が悲しすぎて、「理由まで納得できないものだったら、もっとダメージを受ける」と無意識に避けたのかもしれない。



30年以上経った先日、ピンクの自転車を買ってもらえなかった理由を知った。母いわく、私が第一子だったため、弟が生まれた場合にピンクではお下がりにすることができないから、という理由らしい。自分自身が母親になった今なら、そこそこ納得できる理由だった。



理由が聞けなかったころはひたすら悲しくて、いつまでも気持ちが成仏していない気がしたが、理由に納得したら少し落ち着いた。恨めしい気持ちも消えた。もっと早く聞ければ、という気持ちはある。が、母にも私にもそれまでの時間が必要だったのだろう、とも思う。



自分のそんな経験があるので、何かあると何十年も引きずってしまうかもしれない、と危惧し、我が子の選択には口を出さぬよう気をつけている。
そんな息子は近ごろ、ピンクがお気に入りなのであった。