匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

果物が苦手、というマイノリティの意見表明

今日は「私はほとんどの果物が苦手である」という主張をしたい。

さらに「果汁を酒に混ぜるのはかまわない」とか「果実はいやだが香りは好き」などという面倒な例外も言い出す予定だ。


果物が好きな人をどうこう言うつもりはない。

が、果物が苦手な人は圧倒的少数であり、どうやら果物好きは市民権を得ているようだ。

そして果物は万人に喜ばれる贈り物だ、という価値観が大多数らしい。

そのために困ることも多いので、そうではない人間もいる、ということをひっそりと記しておきたい。


さて、私が果物を苦手と感じる部分は「剥くのが面倒」「食べるのが面倒」「すっぱい」の3点である。


  1. 剥くのが面倒
    バナナとかミカンとか手で剥けるものはまだ良い。
    けれど、わざわざ包丁を使わなきゃならない果物は爆発的に面倒くさい。もともと料理が苦手なので包丁使いもおぼつかない。
    ピーラーはまだましなのだが、それでも好きでもない果物を剥くのは、とても高い心理的ハードルを超える必要がある。

  2. 食べるのが面倒
    食べることに没頭したいのに、種が出てくると現実に引き戻される。非常に心外なのだ。

    もっともそれを感じるのはスイカである。
    甘くて濃厚なスイカはおいしいと思うが、種がある。種がないスイカは、どうも水っぽい印象がある。
    でもスイカを決して愛してはいない私に、スイカのほうだってあれこれ言われたくないと思うし、言う権利もないと思う。言ったけど。

    最初から種を取り除けるメロンなら良いかというわけでもない。
    メロンの種を取り除くことは可能ではあるが、なんかくっついてて取りづらい。
    そして、いざ食べるとなると皮のどのあたりまで迫って良いのかわからない。その食べ方で育ちが出るという恐ろしい話も聞く。メロントラップ。
    メロンは独立宣言とともに首相官邸に持参するくらいでちょうど良いのである。

    ビワは種が大きく、最初から取り除きやすいといえばそうなのだが、果実が薄くて味もなんだか漠然としている。種だけの主張が激しい。
    そのため、あの抽象的なオレンジ色を食すために、あのでかい焦げ茶色の自己顕示欲の固まり(たまにワタとかある)を取り除くという労力が、割に合わないと感じてしまう。

    その点、種なし&皮まで食べられるブドウの存在を知ったときは感動した。だからって積極的に食べるわけではないのだが、食べざるを得ないときには開発者の方々に非常に感謝しながらいただいている。いつもじゃないけど本当にありがとうございます。

  3. すっぱい
    果物が好きな人は「これはぜんぜんすっぱくなくて甘いよ」と言ってすすめてくれるのだが、それが本当に甘かったことは体感で2割に満たない。

    果物の酸味が苦手なのだ。
    酢の物はある程度平気だが、それでも酸味が強すぎるとしんどい。実家で使っていたお酢が甘めで好みで、このお酢を使った酢の物は好きだったが、製造中止の憂き目に遭ってしまった。

    お酢のことはさておき、果物である。
    果物の中でも比較的食べられる(もちろん自分で皮を剥いてまでは食べないが)ものが、柿・梨・桃である。酸味が少なめなラインナップ。
    当然、柑橘類はほぼ全滅だ。本当にめちゃくちゃ甘いミカンはありがたく食べるが、かなり分の悪い博打になってしまう。

    ただ、ここで面倒なことを追記すると、果汁100パーセントのジュースはわりと好きである。
    とくにグレープフルーツジュースは二日酔いの友であり、一方的に親しくさせてもらっている。
    生ジュースを作るならいざ知らず、ジュースは手軽に摂取できるのも良い。

    レモンサワーなど、酒を柑橘系で割った飲み物もけっこう好きである。むしろ酒に入る果汁は甘くないものが望ましい。
    しばらくご無沙汰だが、串八珍のシークワーサーサワーが大好きだった。串八珍に通いつめていたころは毎回、好きすぎて飲みすぎて二日酔いになっていたものだ。

    余談ながら柑橘の香りは大好きで、ボディソープやハンドクリーム、香水などは柑橘系一択だ。が、香りは柑橘過激派すぎて、「柑橘の香り」というふれこみのハンドクリームで「コレジャナイ」と感じることも多々ある。

多少の例外はあるものの、おもに上記3点の理由で、私は果物(実物)を敬遠している。

そして世の中では果物は「もらうと嬉しい物」としてとらえられていることが多く、厚意1000パーセントですすめられることも多い。


以前いた職場で、生活感のない美魔女がいた。

ヘビースモーカーで、社内でランチを食べているところも見たことがなく、偏見かもしれないが家庭的なこととはあまり縁がないような印象だった。

そんな彼女がある日、給湯室でなにやら四苦八苦していた。どうやら取引先が巨峰をくれたらしい。

職場には皿などがなかったので、紙コップに巨峰を分けて、フロアの女子スタッフ一人ひとりに配ってくれたのだ。

私も受け取った。そこまでしてもらって断るわけにも譲るわけにもいかず、がんばって食べた。ある意味、拷問だった。


お互い、不幸な事故だった。


実は美魔女がとても家庭的で、巨峰を分ける作業を楽しんでいた可能性も3ミクロンくらいはあるのだが、私はやはり不幸な事故だったと思っている。


また、菓子などに果物がふんだんに使われることも閉口する。

フルーツパフェとチョコパフェだったらチョコパフェ一択で、ケーキも果物を使ったものは選択肢からすみやかに消える。

チョコレートパフェに入っていても許せる果物はバナナだけである。入っていなくてももちろん生きていける。

それなのに世間では、菓子などに果物が入っているだけでありがたみが増すような風潮がある。

いや、チョコパフェにバナナが入っていてありがたがられるかと問われれば、不分明だが。


弟の誕生日に食べるショートケーキのイチゴは、プレゼント代わりに弟にあげていた。せっかくの甘いお菓子なのに、異物が入っているとしか思えないのだ。

ショートケーキのイチゴを自分で片付けなければならない羽目になったときは、上から中からイチゴをぜんぶ出し、最初に飲み込む。クリームやスポンジのあとにイチゴを食べるとすっぱいからだ。拷問である。イチゴ狩りなんて一生縁のないレジャーだと思う。

おそらく、酢豚のパイナップルを蛇蝎のごとくきらう人と同じような感覚だと思う。ただ酢豚のパイナップルは、私はそんなに気にならないのだが。濃いソースに紛れるからかもしれない。


さて、果物にまつわる恨みつらみをさんざん書きつらねてきたが、実は果物を少しだけ克服した。


つわり時期に、果物しか食べられなくなったのである。そして生まれた息子は、途方もなく果物好きだった。

酸味もへっちゃら、今年の冬はみかんを食べすぎて手足が黄色かった。

小児科の先生に「手足が黄色いのは問題ないよ!」と言われたが、「実は一食あたり5個食べることも…」と白状すると「うーん、ちょっと控えようか」と苦笑されてしまった。

イチゴ狩りも近いうちにきっと行くことになるだろう。諦めの境地に至りつつある。


夫の実家から大型柑橘類が送られてくることも多いが、息子が着々と消化してくれる。私が食べずとも、ほぼ食べきってくれるのでありがたい。

貝印様の画期的商品、夏みかんカッターのおかげで、剥くのもさほど苦痛ではなくなってきた。その後しばらく手が柑橘の良い香りに包まれるのが、嬉しい副産物だ。

貝印様ありがとうございます。


果物ぎらいの数少ない同志を求めてたどりついた方がいらっしゃったら、裏切られたと思うかもしれない。

だが安心して欲しい。少し克服したとはいえ、依然として果物は苦手である。好んでは食べないし、自分のためには剥かない。


果物が苦手だと、他人の善意を無下にしている気分になることが多くて、申し訳なくなる。

だが、果物が好きな人が多いということは、譲り先にはあまり困らないということである。

というわけで、剥ききれないほど果物をもらったときは、積極的に譲っていこうと思う。