嘘が苦手な人間も吸血鬼もすぐ死ぬ
嘘について考えていた。
たとえば、パソコンにトラブルが発生した、腹痛を起こして病院に行く、など。私は専門家に相談するとき、困った症状が再現しないことを恐れてしまう。治っていることよりも、そのトラブルが継続しているほうが安堵する。
トラブルはないほうが良いのに、なぜそう感じるのか考えてみた。2つの理由に思い至った。
理由1、事象が再現できないと原因を特定しづらく、根本的な治療ができないのではないか、と考えてしまうから。
理由2、嘘だと思われることを恐れるから。
その瞬間にトラブルが再現できず再発した場合、自分が嘘をついたわけではないのに罪悪感にさいなまれる。ふたたび解決を依頼するのが申し訳なくなる。
そういえば私は、嘘をついたと思われることも、自分でつくことも苦手なのであった。『吸血鬼すぐ死ぬ』の半田の次くらいには苦手で下手である。吸死おもしろいよ。(サブリミナル)
嘘をつくことが苦手な理由も2つある。
理由1、嘘をついたときの罪悪感が負担になるから。
理由2、つじつま合わせに脳を使うことを面倒に感じるから。
嘘をつかれることはそれほどでもない。むしろ優しい嘘ならついて欲しい。つき通してもらえることが前提だけれど。
相手からされることだと、はぐらかされるほうが苦手である。はぐらかすのも不得意である。コミュニケーション相手を軽視している・されているように感じてしまうからだ。
ただ、世の中には世間話というものがある。内容の真偽よりも会話することが目的、というあれだ。私はコミュニケーション弱者なので、それについての本も何冊か読んでみたがまったく上達していない、というあれだ。
私は嘘をつくこともはぐらかすことも苦手なので、訊かれたくないことを世間話で訊かれてしまったら、必要以上に馬鹿正直に答えてしまい、心にダメージを受ける。相手も知りたくもない情報を聞かされたうえ、話相手が勝手にダメージを受けているという、誰も得しない状態になる。私が逆の立場になることだってありうる。
こうなると「はぐらかすほうが大人の対応だ」という意見のほうが多数だろう。でもはぐらかすのもされるのも私にはダメージになる。
つくづく、自分がコミュニケーション弱者であることを痛感する。私が『吸血鬼すぐ死ぬ』のドラルクくらい死にやすかったら世間話で死ねる。吸死おもしろいよ。
…と、近々職場の研修で人狼をやらなければいけないかもしれないので、嘘についてつらつらと考えていたのであった。
人狼はルールをちょっと読むだけで難しそうすぎるし、嘘が苦手な私はきっとすぐ死ぬ。すぐ死ぬことが給与査定に響いたらどうしよう。そしたら経済的にも死んでしまう。
『吸血鬼すぐ死ぬ』がおもしろいのは本当です。