タイトルをひねると怪我をする
タイトルをつけるセンスがない。まあタイトルに限らないのだが、とくにタイトルのセンスがない。
つい余計な欲が出てしまうのも大きな敗因だと思う。ちょっとひねったタイトルをつけて、センスが良いとか格好良いとか思われたくなってしまう。しかし実際にそういうタイトルを考えると、どうにもセンスのなさが浮き彫りになる。格好良いどころかわかりにくい、空回ったタイトルになってしまう。
現実を書いている(はず)のブログのタイトルでさえこれなので、架空のものを書く場合はもっと悲惨だ。
私は、文学的な意味ではない「同人」をかじっていたことがある。そのころ書いていたものを最近発掘したのだが、ひねりすぎて大失敗していた。すべりっぷりが恥ずかしく、我が身のセンスのなさを痛感した。
同人とは萌えが最優先であり、タイトルの意外性なんてほとんど求められていない。そりゃ同人は自己満足の世界である。が、タイトルで叙述トリックを仕掛けるあんな作品やこんな作品(タイトルだけでネタバレになるので、例を挙げられず残念である)の作者ならいざ知らず、私ていどの力量でタイトルの意外性を追求してしまうのは、悪い自己満足だ。
理想的なタイトルは、ありきたりではなく(=センスがあり)、かつ、わかりやすいものだと思う。だが私はそれを両立できない。では、どちらを採るか。
天賦の才がものを言うセンスよりも、わかりやすさのほうが、努力すればまだなんとかなりそうである。凡人の私は、芸がなくてもわかりやすいタイトルを、まず追求することにした。芸のないタイトルは「実直」とも言い換えられるし、何より後日読み返しても恥ずかしくない。
というわけで、ここのタイトルはあまりひねらず、わかりやすいものをつけようと努めている。それでもよく誘惑に負けそうになるので、まだまだ修業中である。
ただ、こうしてわかりやすさを追求していると、今後書く同人話のタイトルも「○○の誕生日の話」というものになりそうである。そして同じようなシチュエーションで複数を話を書くことが多いので、「○○の誕生日の話・2」とか「3」などとなっていくだろう。かえってわかりにくい。