匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

試行錯誤の練習をしよう

かっこいい自分になりたかった。努力や試行錯誤は見せず、成果だけを見せたかった。



試行錯誤が苦手なのだ。むだなことをしている気分になるのと、試行錯誤の過程を恥ずかしく感じるからだ。久米田康治先生が「1秒前さえ黒歴史」みたいなことを書いていたが、その気持ちはよくわかる。ちなみに私は南国アイスまでは熱心な久米田作品読者だったが、それは黒歴史ではない。



私は異常なまでの見栄っ張りで、そのとき考えうる最高のものを見せたいと思っていた。たとえばWebサイトを運営していたころは、かっこいい文体、スマートなデザイン、読みやすい行間やフォントにこだわっていた。ただ、それはきりがない。時間が経てば、良いと思うものが変わるからだ。それでもあきらめ悪く、ちくちくと直していた。時間ばかり浪費し、コンテンツはなかなか増えなかった。



ふた昔前くらいの同人界では、頻繁に改装ばかりしてコンテンツの増えないWebサイトが叩かれていた。私には双方の気持ちがわかる気がした。見る側からすれば、あるていど可読性のあるデザインならば、コンテンツが増えるほうがありがたい。管理側からすると、コンテンツを増やすよりもデザインに手をつけるほうが手っ取り早く「何かやった」気分になれる。純粋にデザインにこだわりがあって改装をしている管理人もいると思うので、全員がそうだとは言わない。けれど自分の場合は、コンテンツを増やすよりも改装するほうが労力はいらないわりに視覚的にわかりやすく、満足感を得やすかったのだ。やったらやっただけ好みのデザインにもなって、やりがいもあった。それに引きかえ、コンテンツは作成に苦労するわりに満足感が得られるかもわからない、半ばギャンブルみたいなものであった。



趣味の分野だけではない。綺麗にできなければ投げ出してしまうのだ。学生時代の数学の解き方などもそうだった。実際に先生から指摘されたことがあり、自覚もあった。数学の成績は当然、振るわなかった。



中途半端に手をつけたものを直して完成させるより、最初から綺麗な過程を重ねて完成品を作ったほうが、手間と時間がかからない上に完成度が高いと思っていたのだ。ときメモ(無印)でも一週間の行動がすべて成功しないとリセットしていた。どれだけの時間を費やしたのか、遠い目になる。リセット症候群とでも呼ぶべきか。



2018年、ノンジャンルの日記を始めようと思い立った。検索避けやパスワードをかけないものを公開するのは初めてだった。地下から地上に出るようなものだ。その場所として以前から気になっていた、はてなブログを選んだ。ただ、思ったより更新できなかったしテンプレートの勝手もわからないしで、リセットしたくなって古巣のブログサービスに戻ろうかと思っていた。けれど、ここで戻ってしまってはこれまでのくり返しだと思い、2019年は定期的に書いてみようとがんばってみた。テンプレートの手入れは後回しにして、書くことを目指した。書いてみるとやはり、改行や句読点位置のマイブームが変わったりして、過去の文は書き直したくなった。明らかな誤字やわかりにくい文は訂正を入れるけれど、自己満足でしかない手直しは我慢して、記事数を増やすことを優先した。



すると、三つほど変化があった。



一つめに、書き直したい欲が減った。書き直すよりも記事を増やすことの楽しさが、少しわかってきた。



二つめに、ペースがつかめてきた。これまで自分はとにかく遅筆で、努力目標にしかすぎない定期更新など不可能だと思っていたが、「このくらいのペースならなんとかやっていけそうだ」という手ごたえを得た。また、定期更新を目標にしないとぜんぜん書けない人間なのだということもわかった。プリズンホテルの主人公のように、書かずにはいられないタイプではないのだった。
ところで私はプリズンホテルのドラマ(主人公とヒロインが性別転換だった)が好きだった。自分はドラマから見たから違和感なく見て原作も楽しんだが、原作ファンにはきっと…とは思う。



三つめに、書く練習をしたおかげか、ぼんやり感じていただけのことを文の形にできるようになってきた。これまでは大きすぎて考えることも分析も文にまとめることも無理だと思っていた問題が、少しずつ文の形になっている。文の形にすると鎮静効果を感じるようになり、わけのわからないモヤモヤやイライラに突き動かされることが減った。さらに、イライラすることがあったら、書き留めておいていつか文にしてみよう、と考えるようになった。イライラが楽しみとまではいかないが、以前ほどやみくもにイライラしなくなったように思う。



試行錯誤は今でも恥ずかしいけれど、やってみないと改善点もわからない。勘の良い人なら試行錯誤が少なくて済むかもしれないが、私は残念ながら勘も要領も悪い。だから試行錯誤を避けたら、それだけ経験値が少なくなる。私には試行錯誤が必要なのだ。いろんな新人賞でよく「とにかく完結させてみてください」とアドバイスされているけれど、本当にそうだと納得した。形にしてみないと、どこを直したら良いのかわからない。いちおうの枠組みを作って全体的に見てみないと、直す箇所が適切かわからない。



小学校などの卒業制作で一人一枚パネルに色を塗って組み合わせ、大きな絵を作るというものがあった。パネルの色にこだわって何度塗りなおしても、大きな絵としてみたときには些末すぎてわかってもらえないと思う。神は細部に宿るという反論もあるだろうが、小学校の卒業制作は芸術点を競う種のものではなく、参加することに意義があるようなものだ。そのため、パネルの色はどうでもいいとは言わないが、ある程度のところで妥協すべきだ。そもそも、卒業制作の作品ができあがらなければ意味がないのだ。パネルの色がどうしても気になるようでも、作品を組んでから直すほうがきっと良い。



そんなこんなで、2020年もはてなを続けていこうと思っている。