匙を投げたいけど

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面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

タイトルが長くて紹介しづらいけど、良い片付け本を読んだ

良い片付け本を読んだ。なぎまゆさん著『「ちゃんとしなきゃ!」をやめたら二度と散らからない部屋になりました』である。片付けについてのコミックエッセイだ。以下、共感や説得力を感じた点にいくつか触れる。



この本(以下「散らからない部屋」)の根底はこんまりさんメソッド(明言はされていない)だが、こんまりメソッドではしっくり来なかった部分の補完になっていた。こんまり本を知らない人が「散らからない部屋」を読んだらどう感じるのかはわからない。けれどこんまりメソッドにそれなりに納得はしたが、自分には合わない部分もかなり感じた私には、非常に有意義な本だった。たとえば、こんまり本の「この手順を守らないと絶対にリバウンドする!」という主張や、自分とモノの仲良しさ加減を他人にも強要するような部分がなじめなかったのだが、「散らからない部屋」にはそれがなくてよかった。



また私は「日本人には全員、たたむ遺伝子がそなわっている」といったこんまり本のくだりが、どうしても納得いかなかった。自分がたたむことが苦手、というのがいちばん大きな理由だ。が、もう少しもっともらしい理屈をこねると、遺伝子は「種としての生物が環境などを生き抜くために獲得した特質が組み込まれるもの」というイメージがある。そして「服をたたむこと」が人間という種が生き抜くために必要だったのかどうかと考えると、どうもそうではない気がする。そのため、こんまりさんの主張がとてもじゃないが納得できなかった。



話はそれたが、「散らからない部屋」はそのへんを「たたむのが苦手な人が、どれくらい過程を簡略化したら生活を維持できるかを考える」という手法で解決していたのは素晴らしかった。「散らからない部屋」はすべて「自分の性格で維持できるかどうか」という考え方が徹底していたのが、私には好ましかったのだと思う。こんまりメソッドのように価値ある方法でも、性格を無視して押しつけられると反感が先に立ってしまう。私は小物かつ無精者なのだ。



こんまりメソッドでは、片付けの際はまずモノを出して(集めて)分類し、その種類ごとに片付けるのがセオリーだ。しかし「散らからない部屋」では、あまりにモノが多かったので場所ごとに片付けた、という例外が取り上げられていた。「セオリーがいちばんであるが、今回は例外としてこうした」といった旨の注釈がついていた。あまり例外を自分に許しすぎると片付けられない、という危険性はある。しかし、どんなことがあってもきっちりメソッドを守るというのはなかなかハードルが高いので、これもだいぶ気持ちが楽になった。



「散らからない部屋」で述べられていた説でもうひとつ、非常に納得できるものがあった。モノの要不要を分ける際は頭を使って疲れるので、その場から移動して別の場所を片付けたくなる。しかし別の場所に行っても結局片付かないので、モノがなくなる=すべてについて要不要を決めるまで動かないのが鉄則、というものだ。さらに「収納場所が決まっていないモノを動かしても、結局モノを動かしているだけで片付いていない」というのも、身に覚えがありすぎた。自分の場合は片付けだけではなく、外出準備などでもむだに動いているだけではないかと感じることが多いので、もっと効率的に動きたいのだが。



収納では、衣装ケースなどに片付けたものがわかるよう、間に合わせで良いからその場でラベルをつける、というのもわかりやすかった。あとで名札やラベルを綺麗につけようと思っても、無精者はほぼ実現不可能という主張もわかりすぎた。そもそもそういうことがマメにできるんだったら、部屋は散らからないのだ。また、作者のなぎまゆさんが実践している「自分の記憶力は一切信用しない」「他人に伝えるように、やりすぎかなと思うくらい詳細な情報を書いておく→結果的にそれが役立ったことがある」というのも、私も経験したことがあって、深くうなずいた。スマートなやり方ではないけれど、自分にもかなり向いていると感じた。



挙げるときりがないが、このように共感や納得をする部分が多かった。片付けのツボを押さえつつ、自分の性格に合わせて目的を達成(=綺麗な部屋にする)するための仕組みを考える、という考え方が徹底していたのが、とても良かったのだ。実際に「この本のやり方は自分には合わないと思う人もいると思うが、そこは自分に合わせてカスタマイズすると良い」といった旨のことが描かれていた。その姿勢も非常に好感のもてるものだった。



惜しむらくは、紹介するのにタイトルが長いこと…もとい、実際に読んでみたら「タイトルとちょっと違うかな?」と思ってしまったことだ。「ちゃんとすることをやめたら」という部分に惹かれて読んだのだが、充分きちんと片付けをしているなあ、と感じた。勝手なイメージなのだが、ずぼらな自分でも楽をして片付けができる方法があったら良いな、などと虫の良いことを考えてしまったのだ。けれど、そういう内容ではなかった。むしろそういう虫の良い片付け方法はないのだ、と思い知らされる内容だった。



タイトルの「ちゃんとしなきゃ!」というのは「きちんと片付けられる人と同じ方法で片付けなければ、と考えること」を指しているように思う。そのため私が抱いた印象とは齟齬があったのだが、でもこのタイトルじゃなければ、おそらく私はこの本を手に取らなかった。やはりこのタイトルで良かったのだろう。