匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

探しものはなんですか

買い物などに行って目当てのものが見つからない。そんなとき私は、店員さんに尋ねるということがなかなかできない。勇気が要る。しかも探し物が下手なので、頻繁にある。



昔は見つからなかったらあきらめていたが、現在あきらめることは2割くらいになってきた。「店内をひととおり探して尋ねる」くらいは6割ほどできるようになった。残りの2割は年齢のせいか育児で時間がないせいか、探す余裕がなくて、探さずに訊いてしまうようになった。



うちの母はすぐに訊いてしまうタイプで、鬼の首をとったようにその手法の良さ・正当さ(探す前に店員に聞く)を力説する。が、自分はそのやり方がどうしても好きになれない。



目当てのものを自力で探す前に店員に尋ねるのに抵抗を感じることや、不具合の再現ができないと不安になること(*1)は、目的を果たすまでに余計なことを考えているようなものかもしれない。目的を果たす(目当てのものが見つかる、不具合が治る)ために最短の解決法がそこにあるのに、余計なこと(目当てのものをひととおり自分で探してみる、不具合状態が続くことを願う)に時間と労力を割いてしまう。たしかに最短の手法なのは頭ではわかるのだが、どうにも抵抗がある。



*1,不具合の再現ができないと不安になることを書いた記事はこちら→嘘が苦手な人間も吸血鬼もすぐ死ぬ



自分が店員だった場合、まったく探さないで訊かれたら、きっと面倒だと感じてしまう。少しは自分で調べて欲しい、と思ってしまい、探さないで尋ねるのが人の労力や時間にただ乗りしているように見えて、好意的に思えないのである。もちろん仕事のうちなので対応はするが、内心あまり歓迎はしないであろう。そのため、こんまり本(*2)で推奨される「説明書全捨て」もできない。



*2,こんまり本を読んだときの記事はこちら→大柄で育児中な私は、ときめきでは服を捨てられない



ちなみに、某ディスカウントストアのような、商品が探しにくい店には最初から行かないようにしている。聞いた話では、店の方針で「宝探しのような陳列にしている」とのこと。実際、天井まで積みあがっていて探しにくい。しかしその店は狙ってやっているとのことなので、私には向いていないと判断した。そういう方針を明かしてくれるのは、むしろ親切だと感じる。



訊けば見つかる商品をあきらめて店から去るのは、売上を落とすということでもある。それでも訊かなければ(=直接迷惑をかけなければ)、自分が店の損になったことはバレない。とにかく直接迷惑だと思われるほうがダメージが大きいのである。おぼろ豆腐メンタル。



もちろん、訊かれることも仕事のうちと割り切れるタイプの人もいると思うし、そういう人は探さずに訊かれても気にならないだろう。中には自分では労を割いて探してから店員に声をかけるが、自分が店員の立場だったらすぐに訊かれても気にならない、という奇特な人もいるかもしれない。



そういう店員さんだったらなおさら、「まずは自力で探してみる」というのは時間と労力の無駄なのかもしれない。けれど、自分と似たタイプに当たった場合に備えているのだ。「自分がされていやなことは他人にもしない」という考えを採っているとも言える。実際に自分が店員になり、訊かれるのが気にならないタイプになれば、パターンが変わるかもしれない。ただそもそも接客に向かない自覚があるので、店員になるという前提が考えにくい。



その点、インターネットはありがたい。一部書店や図書館のネット検索システムもありがたい。ただ、店頭の検索システムはそれはそれで、エアータオルのとき(*3)のように鉢合わせのときの気まずさだとか、いろいろ面倒なことを考え始めるのだが。



*3,エアータオルの鉢合わせの気まずさを書いた記事がこちら→精神力を節約する精神力がない