匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

手紙が伸びる

手紙はほぼ書かなくなってしまったが、メールなどを長く書いてしまう。仕事のメールは長々と書かないように心がけてはいるが、それでも長くなりがちだ。誤解を恐れる気持ちが強いせいだ。誤解の入る余地を減らしたくて、文章を重ねて長くなる。くどく感じられることもあると思う。さらに私は、ぼんやり書くと一文がとてつもなく冗長になる。そのため、意識して短く切るようにしている。これでもだ。



メールの相手が同人活動をしていて、なおかつ絵描きさんだったりすると、自分の3割くらいの文章量でも頻繁に「長文になってしまって申し訳ありません」とおっしゃる方が多い。そのため、自分からのメール(長い)はよほど読むのが苦痛で迷惑なのではないかと思ってしまう。反省はすれども、やはり長くなるのだが。



ところが、以前メールカウンセリングの先生も、誤解を少なくしたくて言葉を重ねがちだと教えてくれた。プロでもずばっと言うばかりではないんだ、自分と同じようなところがあるんだ、と知れてありがたかった。



ただ、字が少なくても多くても誤解は生じる。有名な作家の文章だって、いろんな解釈があったりする。だから、本当に必要なのはやみくもに文章を重ねることではなく、ある程度まで手を尽くしたあとは相手の解釈に任せてしまう勇気なのかもしれない。



それに文章を重ねていると、誤解されそうな隙を埋めるのは意外と大変だな、と感じる。誤解への恐れはある。が、だからといってただひとつの解釈しかできない文を書くのは、コストパフォーマンス的に割に合わないような気がする。



そんな私なので、テクニカルライターは大変な職業だろうなあと思ってしまう。マニュアル作成がきらいじゃないので、自分もやってみたいと思った時期もあったけれど、とんでもなかった。字数を少なく、それでいて伝わるようになんて難易度が高すぎる。浅はかでした。