匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

私と清書と悪戦苦闘

私の文の書き方は、効率が悪いと思う。これでも速く、かつ効率良く書きたいと思って導入した方法で、ノープランだったころよりはましになった。が、まだまだ伸びしろが見えるので(前向きな表現)、途中経過として書いてみる。誰かの反面教師になるかもしれないし、ならないかもしれない。



書きたい題材はそこそこある。しかし読める形に仕上げるのにとても手こずる。時間的にも技術的にも四苦八苦している。その原因はおそらく2つ。「考えがまとまりきってないことと」と「どう書いたら伝わるかに悩むこと」だ。とはいえ、前者はなんとかなりそうな気がするが、後者は本当に苦労する。そもそもこのはてなだってそのレベルに達しているかどうかと考え始めると迷宮に入るのでさておく。



速く書けるための本はいろいろ読んだ。そのノウハウをいくつか試してはみたけれど、目に見えて早くなった気がする技術は少ない。その中で効果があった技術は、プロットを作ることだ。読むまでそんなことすらしていなかったのだ。



現在、私が文(架空でもはてなでも)を書くときのプロセスは以下のとおり。


  1. 主題・ネタを思いつく
  2. ざっくりした流れや書きたいことを箇条書きで羅列
  3. 2の並べ替えや取捨選択をしつつ書く(ほぼ清書)
  4. 整理と校正


という感じ。たとえば桃太郎を書こうとするなら、以下のようになる。


  1. 主題・ネタ → 〇〇太郎が悪行を働く鬼に立ち向かって倒す
  2. ざっくり → 〇〇太郎は桃から生まれるから桃太郎、鬼が住んでいるのは鬼ヶ島、猿と犬と雉が桃太郎を助けてくれる子分
  3. 絵本などでおなじみの桃太郎の話の第一稿
  4. 校正など(「鬼が島」と「鬼ヶ島」が混在しているので表記を統一する、など)


しかしこのやり方、2と3の間ですごく手こずるのである。



私はせっかちで、2の段階でつい書き始めてしまう。なんか書ける気がしちゃうのだ。その段階だとやる気もおそらく最高潮だし。イラストを描く人の「ざかざかっと鉛筆で下描きして『これは!』と思って、ペン入れしてみるとそうでもない仕上がりだった、という感覚」に近いだろうか。デジタル絵描きさんが多い昨今、古い感覚だったらすみません。



とにかく、上記プロセスの2の「桃から生まれるから桃太郎」を書く段階で、私は「おじいさんとおばあさんはどこから桃を入手することにしようか?」「やっぱ山仕事でおじいさんが入手? しかしありがちか…」「じゃあおばあさんが川で洗濯していて入手することにしよう」「さて、おじいさんはどこへ何しに行かせよう?」「あ、そういえばおじいさんの職業を決めるの忘れてた」となりがちだ。「おじいさんは山へ芝刈りに」の一文を生み出すだけで右往左往である。



膨大な思考を重ね、もっともふさわしい表現のためにそのおびただしいものを研ぎ澄まして結晶のような一文を生み出す。その過程は尊い。でも、そういう話じゃない。



右往左往すると疲れる。性格的なものも多分にあると思うが、私はやり直しが好きではない。学生時代にテストの見直しが苦痛で、ほとんどしなかった。うっかり人間なので、かなり失点してきたと思う。それでも見直しというプロセスが面倒に感じられて仕方がなかったのだ。けれどこの書き方をしていると、やり直しが多くなってしまう。アナログなら原稿用紙が消しゴム跡で汚くなったり紙が破れたりしているはずだ。



つまり、そもそもやり方がまずい。向いていない行為を強いられる上に、効率が悪い。なので「ざっくり流れ」と「書く」の間にもうひとつ、もっと詳細なプロセスを考える過程を置いてみようと思っている。こんな感じで。



  1. 主題
  2. ざっくり流れ(プロット)
  3. 下書き←New!
  4. 清書
  5. 校正


これで書く速度が上がれば儲けもの。上がらなければまた別のやり方を考えてみようと思う。



蛇足だが、自分の文章が伝達に向いてないというか、どうも自分の頭で考えたことを前提にしてしまって丁寧に説明することに欠けているような気はする。文章のクセもあり、たとえば一文が長くなりがちなところや、てにをはを飛ばしがちなところや、修飾語を思いつきで配置しがち(結果、修飾したい言葉と離れてしまいがち)なところは気をつけなければと思っている。けれどよほど意識しないと治らない。根強い癖だ。句読点もわりと気ままにつけてしまうので、テンポの良い文章にするためにアップロード前に音読してみようと思うけれど、それも忘れがち。おそらく「見直しが苦手」という性質が、ここでも災いしている。