匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

「みんな仲良く」という夢

「みんなと仲良くしよう」。学校生活ではそう教えられてきたし、そうしなければならないと信じていた。



しかし自分は誰とでも器用に仲良くできるタイプではない。とくに性格や考え方やスタンスなどが合わない人とはなかなか仲良くできない。少数でも深い友達がいれば、それでいいと思っていた。



けれど学校で教えられたことができない自分に引け目があった。素直と言えば聞こえは良いが、教えられたことをわりとうのみにする子供だった。だから本当なら友達は幅広く求めなければならない気がしていた。そして友達は多ければ多いほど充実しているのではないか、という考えに長らくとらわれてきた。ただ学生時代、私から見て友達が多い(自分でも「友達を増やすことが好き」と言っていた)と感じた同級生の口癖が「ヒマなんだけど、なんかおもしろいことない?」だったので、それはすごく不思議だった。「あんなに友達がいるのに?」と思うと同時に、私は余暇どころか生活時間さえも削って趣味に掛けたいタイプのオタクだったからだ。余談だが、その同級生が友人の前で言う「友達もっと欲しいなー」はちょっと失礼なんじゃないかと感じていた。そもそも私とその人は価値観がだいぶ違ったのだろう。



大人になってからは、合わないタイプは職場にもどうしてもいる(むしろ友達になれそうな人のほうが少ない)。だから、仕事がしづらくない程度にコミュニケーションを取ればいいのだ、となんとなくわかってきた。友達になる必要はなかった。長いあいだ非正規労働者をやってきて、どこの職場にもいまいち合わないタイプがいることはわかったのは、とても大きな収穫だった。完璧にハッピーな職場などない。



そして職場に限らず、大人数が集まる学校でも、合わないタイプとは距離を取っていてよかったのだ。そう気づいたのは大人になって久しい、つい最近だ。学校などの集団では、どうしても合わない人がいる可能性が大きいけれど、適度な距離を保って集団生活をすることも可能なのだ。むしろ適度な距離を保って付き合ってもいい、ということを学校で教わりたかった。でも実際に教わったのは「みんな仲良く」だった。



「みんな仲良く」「友達は多いほうがいい」は、学校教育でそう教えられてきたこともあるが、藤本ひとみ先生の『漫画家マリナ』シリーズの影響もかなりあるかもしれない。読んだのが昔だし、今は絶版になっていて入手困難らしいのでうろおぼえの記憶だが。



主人公マリナは売れない三流漫画家。父親の仕事の都合で転校をくり返しており、行く先々で積極的に友達を作っては連絡先をメモしており、取材先には困らない、という設定だ。マリナは作中ではスペックが低いとされており(でも少女小説の主人公だからかアホほどの美形にアホほどモテる)、友達の多さが唯一誇れるもの、みたいな描かれ方をしていた。



しかし私自身はスペックが低い上に、対人関係も下手だった。「友達が多くないと、本当にどうしようもないんだ!」とかなり焦ったし、絶望的にもなった。マリナシリーズを読みながらモヤモヤしていたのは、そのやるせなさから来ていたと思う。モヤモヤしながらも読むことをやめられなかった、そんな魅力的な小説だともいえるのだが。今なら「フィクションだから」「自分には向いていないから」と割り切ることができる。



私がどれくらい対人関係に稚拙かというと、学生時代は自分などに近づいてくれる数少ない人を失ってはならないと思っていた。そのため、困った癖(真夜中に電話をかけてくるとか終わらない愚痴を聞かされ続けるとか)にもとことん付き合っていた。なんとなく、それをきっちりこなしていれば、いつか周囲にはストレスのたまらない友人だけになるかもしれない、という希望があったのだ。ストレスがたまらない友人しかいないという状況を、ある種のご褒美として捉えていたように思う。



しかし、困り癖に付き合ったからといってストレスのたまらない友人が増えるわけではなかった。むしろ困ったさんとひとからげにされて、まともっぽい人々からは敬遠されていくような気がした。そして困ったさんや、困り癖はなくてもこちらが利用されてるような気分にさせられる人が、身の回りに増えた気がした。そのうちたまりかねて、困ったさんに「もう真夜中の電話には付き合えない」と宣言して疎遠になったが、非常に疲れた。そしてもう懲りて、新たに良好な対人関係を築くことは諦めてしまった。現在私に付き合ってくれている人々は、この上なく奇特な人々である。または友人だと思われていないか。



もう、良好じゃなくても仕方ない。合わない人やストレスがたまる人との距離を置いた付き合い方を身に着けたい。そして、「このやり方でも大丈夫」と思う勇気を持ちたい。



……と、現実ではそう思うのだが、フィクションでは必要以上に仲良しな集団が大好物なオタクである。見るのも書くのも楽しい。まあ、「みんな仲良く」は夢だからね。