匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

つぶつぶオレンジは振らなくていい

つぶ入りオレンジジュースをお中元でいただいた。果物は好きではないがオレンジジュースはわりと好きなので、ありがたく飲んでいる。ただ自分で買うとしたら、つぶ入りは選ばない。



つぶ入りジュースを飲むには、いったん振ってからお飲みくださいと書いてある。まんべんなく果実を味わえるからだろう。実際、私はそのとおりにしていた。



だがある日、うっかり振り忘れて飲んだ。かなり快適だった。



考えてみれば、自分はオレンジジュース部分は好きだが、果実部分は好きではない。むしろ不要だ。だって私は果物が苦手だし、口当たりもよくない。意識していなかったが、つぶ入りジュースを飲むときは、果実に対するわずらわしさを我慢しながら飲んでいたのだった。



ということは、あえて振らずに飲んでも良いのではないだろうか。かなり長年気づかなかったのは痛恨なのだが、気づいたのでまあ良しとする。



このように、説明書きのとおりに実行してきたことはこれだけではないと思う。でも、致命的なエラーを引き起こすようなものでないならば、自分に快適なようにカスタマイズするのも手なのだな、と今回のつぶつぶオレンジ事件で気づいた。



話は少し変わるが、好きな作家さんの本は、好きだというからにはすべて買って読まなければ、と思っていた。いったん好きになった作品も、もし自分の好みと外れた展開になっても、最後まで買うのが義務だと思っていた。そうでないと「好き」と言う資格はないような気がしていた。



けれど昨今は情報過多かつ、自分の経済的時間的余裕がなくなった。そのため、とてもではないが全買いは実行できなくなった。それに先方はプロなので、一読者に過ぎない私が義理立てしなくても、好みではない作品を買う必要は別にないのだな、と気づいた。好きだとは言わなくても(言えなくても)、心地よく感じられる作品をひっそりと愛でるのもありなのだ。自分が追える範囲で応援して、ファンを名乗るのもありだろう。私はまだその境地には至れないが、その境地に至れたらもっと人生が楽しいだろうな、と思う。



ところで私はこしあんよりつぶあん派なので、つぶ入りジュースの欠点として「口当たりがよくない」を挙げるのは、矛盾しているかもしれない。