匙を投げたいけど

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面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

のろまな亀の検証と改善

昔のドラマで、「ドジでのろまな亀」を自称するヒロインがいた。ちゃんと見ていないので、自称だけではなく他人からの評価でもあったかもしれない。他人から言われてるんだとしたらひどい悪口だと思う。



今回は、これと似たようなことを言われ続けてきた私が、心の落としどころを見つけた話を書く。



私は昔行っていた塾で、先生から「人の3倍の時間がかかる」と評されたらしい。良い意味で、だ。先生がうちの母に言ったことだそうなので、まあ悪口ではないのだろう。二者面談で「あの子は人の3倍時間がかかるので、長い目で見ましょう」と言ってくれたらしい。



母はその言葉に感銘を受け、気が楽になったのだろう。その後、事あるごとに「あんたは人の3倍かかるんだから」と言うようになった。だがそれは、私にとっては「お前は鈍くさい」と言われているのと等しく、心のやり場がなかった。確かに私は鈍くさいので、反論の余地がない。しかし、そう言われたくはなかった。私がその言葉についての不満を表明すると「だったら他人の3倍長生きすればいいじゃない、あんたならできるわよ」と非現実的な提案で慰められた。結局ずっと言われ続け、やめてもらうことはあきらめていた。てきぱきしたタイプになれれば根本的な解決になるのだろうが、それが根本的に無理なので、あきらめるしかなかった。



言われることはあきらめたものの、言われて落ち込むことには変わりがない。そこで、心の落としどころを見つけたいと思い、カウンセリングなどでも相談してみた。しかし、「時間がかかる分、深みが出ていたと考えたら?」と言われた。それも確かにひとつの手段なのだろうが、深みなんてないことは自分がよくわかっている。そのため、ずっとモヤモヤを抱えたまま「鈍くさい」という評価に甘んじていた。



先日、脳についてのちょっとした講座を受けた。なかなか成果が出ない人の中には、PDCAサイクルのC(検証)とA(改善)をすっとばしているタイプが多いというのだ。私はまさにこれだ、と思った。「人の3倍時間がかかる」のはこれが理由だったのか、と目の前の霧が晴れる思いだった。



と同時に自分は、ただ「とろい」「むだに時間を費やしてきた」と言われることがつらいのではなく、打つ手がないことをしんどく感じていたのだ、と気づいた。むしろ「むだな時間ではなかった」と自分に思い込ませる手段がなにかないか、とありもしないものを探していることがしんどかったのだ。これまで私の人生は、CとAがないほぼない状態だった。CとAをすっとばしてぐるぐるしている状態でいたことはむだな時間だった、とはっきりわかり、意外なほどすっきりした。そしてこれからはCとAを回してみれば、むだなままではないはずだ。試行錯誤が苦手だったので避けてきたけれど、試行錯誤はやはり必要なのだ。



「人の3倍時間がかかる」と言われるのがいやじゃなくなったわけではないけれど、「CとAをおろそかにしてきた以上、そう言われても仕方ないな」というあきらめには至った。それは精神衛生上、以前よりはるかにましだ。とても気が楽になった。



あとはうちの母が、孫である私の息子(マイペース)に対して「人の3倍時間がかかるお母さんの血を引いてるんだから、仕方ないわよね」と言うので、それに対するフォローを心掛けたいと思う。ただ、うちの息子は人の話を聞かないので、フォローは不要かもしれないが。お願いだから、たまには話を聞いてくれ。