匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

敵も己も知りたくなかったので百戦連敗でした

私の好物はカロリーとビールである。

太りそうな食べ物や味付けはだいたい好きだ。

さらにインドア派で運動は好きではない。


そんな私は、当然アレである。

そしてこれまで数多のダイエットに挑んでは、あっさり挫折してきた。

嗜好が嗜好なので「ダメ元でチャレンジして、案の定失敗」といった感じだ。

わかってた。知ってた。

そのつもりだった。


急に思春期のようなことを書く。

思春期などとうに過ぎ、なんなら思春期の子どもがいてもおかしくない年齢になった私が書く。


私はずっと等身大の自分を知るのが怖かった。

なにかにつけ、見積もりは過大か過小のどちらかだった。

とにかく極端に傲慢だったり、極端に卑屈だったりした。

等身大に向き合わないことで、自分が万能と思える余地を残したかったのだと思う。

その万能感たるや、どこかのプリキュアのようになんでもできるしなんでもなれるし、輝く未来を抱きしめちゃう勢いだった。

しかし私はプリキュア歳などとうに過ぎ、なんなら子どもがプリキュアでもおかしくないお年ごろである。


遅まきながら、等身大の自分にぼちぼち向き合おうかな、という気になってきた。

健康診断で二年に一度くらいの頻度で注意を受けるのも、そろそろ飽きてきた。

何より、大好きなビールを末永く楽しみたい。(思春期のような記述はここで終了とする)


そんなこんなで、これまで避けてきたダイエット法「レコーディングダイエット」に手を染めることにした。


自分の性格と経験上、面倒で事細かな記録は続かない。

そこで、複数の友人知人から噂を聞いたアプリ「あすけん」を試すことにした。

それでも面倒くさそうとは思ったが、危惧していたほど面倒ではなかったので、ひとまず一週間は続いている。


あすけんには栄養士のイメージキャラクターのお姉さん「未来さん」がいる。

私は勝手に「みらいさん」だと思っていたので違ってがっかりしたのだが、「みらいさん」のほうが語感が好きなので「みらいさん」だと思うことにした。


みらいさんが、最初の一週間はありのままに記録してみましょうとか言うので、そのとおりにしたら毎日カロリー過多をとがめられている。

ときにアイアンクローみたいな手もされる。気がした。(すぐスクロールしてしまったのでちゃんと見てない)


彼女の害意の有無はさておき、私はオタクなので、イメージキャラクターは各自に合わせてカスタマイズさせて欲しい。

私のようにカロリー過多な食生活をサポートするキャラクターなら、犬属性のキャラクターが良い。

自分の食事を減らせばキャラのごはんが増える。

そしてそれを手放しで喜んでくれるようなキャラだったら減量もはかどるのではないだろうか。


話はそれたが、己の食生活を目の当たりにし、このままでは痩せるわけがないということはわかった。

まあせっかく始めたので、しばらく記録を続けるつもりだ。


これまでそこに経験値を振ってこなかったから、実はものすごいレベルアップをするのではないかという甘い甘い期待がある。

待て次号。

「対象年齢:俺」ってもしかしてすばらしくすばらしいフレーズなのでは

遅まきながら、「対象年齢:俺」という表現がすばらしいのではないかと気づいた。

かれこれ20年以上愛読している作品のフレーズなので、遅まきにもほどがある。

 

「対象年齢:俺」は、『神聖モテモテ王国』というすばらしい作品に出てくるすばらしいフレーズである。

この作品のすばらしさときたら、これのおかげで私は友人ができるわ恋人はできるわ結婚もできるわで人生が変わったのだが、雑誌の裏表紙の広告のパワーストーンくらいうさんくさくなってしまうし、今はさておく。

 

神聖モテモテ王国』(公式愛称:キムタクだが、いろいろまぎらわしいのでモテモテと書く)の作者はながいけん先生である。

ファンからはながいけん閣下と呼ばれていたりもするが、いろいろまぎらわしいので閣下とは書かない。

 

ながい先生の日本語センスは並外れている。

世界でも屈指だと私は信じている。

 

そんな先生の描かれるモテモテなので、名フレーズは枚挙にいとまがない。

ためしにご近所のモテモテ信者に名フレーズを尋ねてみていただきたい。

すべてがすばらしいので、全7巻(新装版だと全6巻)を音読されること請け合いである。

 

その名フレーズの数々にまぎれていた「対象年齢:俺」。

これは、とくに何かを発言したり受信したりする場面において、威力を発揮する呪文なのではないだろうか。

その威力は、かのダスティ・アッテンボロー提督の最強呪文「それがどうした」にも匹敵すると思われる。

「対象年齢:俺」は「それがどうした」より攻撃力に欠けるが、単体の防御力においてはおそらく「それがどうした」をしのぐ。

何より、「対象年齢:俺」は角が立たない。

 

ちょっと例を挙げてみる。

 

例1:

自分「オンナスキー×ファー様がたまらん、親子という背徳感も立ちのぼる」

逆カプ滅びろ腐女子「逆カプの名称なんて目に入るのもイヤ! 不快なので発言を削除して謝罪してください!!」

自分「いやあの、『対象年齢:俺』なんで…」

 

例2:

メガネ受原理主義腐女子「メガネはあまねく受! オンナスキーも大王もブタッキーも! そう思わない腐女子腐女子失格!!」

自分「この発言の対象年齢はきっと俺じゃないんだな」

 

やや極端な例かもしれないが、穏便である。

平和的解決である。

すばらしい。

 

というわけでこの先、基本的にそんな精神で綴っていこうかなと思う次第である。

減らしたいもの

ものを減らしたい。


もちろんそれは目的ではなく、手段だ。本当に減らしたいのは、無駄に感じる時間である。


必要なものが見つからず、焦る気持ちや時間が何より嫌だ。
自分の持ち物が把握しきれず、だぶり買いをしてしまうのも単純に無駄なので避けたい。
また、気が進まないことに割く時間を減らしたい。
そして何かをしたいと思ったときにすぐ取りかかれる環境にしたい。
ものが多いと、着手までの手数が何かと増える。
できる状態になったときはテンションやモチベーションが想像以上に下がっている。


というわけで、断捨離とやらに少しずつ挑戦している。
もちろん、夫のものには手をつけていない。
我が家はオタク同士なので、とにかく物が多い。
が、相手が大切にしていることもわかっている。
そのため、かの鉄道模型妻のようにはならないつもりだ。
あれは恐ろしい。
被害者になるのも加害者になるのもごめんだ。
恐ろしすぎて、創作であることを祈るばかりだ。


話がそれた。


私の断捨離をいちばん阻むのは「これを捨てたら、あとで必要になって困るのでは?」という恐れだ。
有名人らしきメンタリストの本に「人間はそう思ってしまう傾向がある」といったことが書かれていた。
そこをもっと知りたかったのだが、残念ながら軽くしか触れられていなかった。ので、ネット検索を試みた。


どうやらそれは「損失回避の法則」や「プロスペクト理論」と呼ばれるものらしい。
人は、損をすることを非常に恐れる。
一説には同額の得と損は、損を2.5倍ほどダメージに感じるらしい。
つまり、捨てたものが必要だったかもしれないと思ったとき、2.5倍くらい大げさにがっかりしてしまうのは、脳の構造上、仕方がないことなのだ。――と解釈した。


また「保有効果」という心理もあるそうだ。
自分の所有したものは店で売っている同じものよりも価値があると思ってしまうとのこと。
捨てなかったものがあとから役に立ったとき、格別に嬉しいのは、この保有効果と確証バイアス(自分の考えを裏付ける情報ばかり集めること)の合わせ技なのだろう。


自分の恐れは、脳の癖だとわかった。
ならば、それは仕方ない。
仕方ないので、処分してからがっかりするのは諦めたい。
そうすれば、少しは気軽に断捨離を進められそうだ。


ちなみに、個人的にものを減らすのに役立ったのは「使っていなかったこれのために、家賃のどれくらいを割いていたのか」という考え方だった。


これでおおむね、心の準備はできた。
あとは実際にものを減らしてゆくだけだ。
だけだ。


なにごとも理論と実行には、大きな溝があるけれど。

シンカリオンがおもしろい

シンカリオンがおもしろい。


このエントリはかの作品の布教・考察が目的ではない。
育児の合間に見ているため、聞き逃し見逃しシーンがあり、語れない。


シンカリオンは「私の求めるフィクションはこれだ!」というところを突いてくれる。


昨今、救いがなかったり小難しかったりな展開が多い気がして、少々疲れていた。
リアリティの重視だとかひねりたいとか、何かしら理由はあるのだろう。
しかし、こちとらアホほどハッピーエンドが好きなのだ。
ハッピーエンドのためなら整合性など忘れてしまう。
そもそも記憶力がないので、整合性の有無をおぼえていられないことはさておく。


そこへもってきてシンカリオンである。
王道でわかりやすく、熱い展開。疲れた胃に染みわたる中華粥のような素晴らしさ。
ただのお粥ほど淡白ではないと思うので、中華粥。
たとえが適切である自信はない。


私は、自分の触れるフィクションが楽しいものであって欲しいのだ。
現実はつらくて理不尽で、バッドエンドもあるし人死にも出る。
だからせめてフィクションは楽しく見たい。
もちろんそれ以外を否定するつもりはない。
ただ自分で見る場合は、ハッピーなものだったらいいな、ということだ。


というわけで今、シンカリオンがおもしろい。

読書の記録と記憶を残したい

読んだ本を記録したい。



せっかく本を読んでも、内容を忘れてしまうことがほとんどで、もったいなく感じる。だから、感想なりメモなりを残したい。



前回の記事でも書いたが、チラシの裏でも求める条件の一部は満たしている。が、書いたからには残しておきたいし、検索もしたい。つまり、求める条件のすべては満たしていない。



求める条件は以下の3つ。



1、他人の目に触れない
2、本の情報を容易に貼れる
3、「書く」「読み返す(検索)」が楽



「1、他人の目に触れない」について。


まずここで、ほぼすべてのアプリが脱落した。探した限りでは、読書の記録に特化していて、非公開にできるものはなかった。


他人に見られたくない理由は二つある。


第一に、気軽に書けない。気軽に好きに書けば良い、と思っても、絶対どこかに遠慮や見栄が入る。また、ミステリで意外な犯人だったことが印象的でも「犯人は○○」と書くわけにいかない。同様に、自分にとって便利な検索ワードもおいそれと書けない。



第二に、読んだ本を知られるのが単純に恥ずかしい。今のところ、犯罪に手を染める予定はない。が、うっかり罪を犯したときに「犯人はこんなものばかり読んでいた!」などと報道されては、清く生きている同好の士に申し訳が立たない。



冗談はさておき(半ば本気だが)、たとえばノウハウ本を読んだことを知られるのが恥ずかしい。自分が不器用な自覚はある。「不器用だからノウハウ本を読んで少しでも改善したいんだ!」と開き直れば良いのだが、そこができない。「ちょっとタイトルに惹かれた」程度の本を知られるのも恥ずかしい。自分のセンスのなさも自覚しているが、選書センスのなさを開き直れない。


「2、本の情報を容易に貼れる」について。



読書の記録に特化したアプリで、この条件が満たせそうなものはあった。が、1の条件をそもそも満たせていないので断念した。本の裏のバーコードを読み取るだけで情報挿入できるシステムなども惹かれた。が、近ごろ電子書籍で読むことも増えたので、それだけではこと足りない。ただ、書名・著者名を手打ちするくらいは妥協できそうなので、これは引っ込められる条件である。



「3、『書く』『読み返す(検索)』が楽」について。


検索したいので、デジタルが必須となる。1で書いた通り、アプリはほぼ全滅だったので、鍵付きブログで試みたことがある。しかし「鍵」がそもそも読み書きに不便だった。読み返すためにアクセスするだけでパスワード入力が必要となる。検索先の参照もパスワード。もちろん書くときもパスワ(略)。読むたびに新しい発見がある本こそ記録したいのに、パ(略)。メール更新機能もあったが、記事が分かれてしまう性質上、使えなかった。



ままならぬ。



ただ、内容を忘れるということは何度読んでも楽しめるということだ。と、自分に言い聞かせつつ、目下難民である。

匙を投げたい、けど

頭を使うことが苦手だ。



苦手というか、いや確かに苦手なのだけれど、とにかく面倒に感じる。なにかと面倒くさがりな自覚はある。しかも「面倒だから効率を考えよう!」といった前向きなものではなく、やみくもなやつだ。



しかし年齢的なものもあり、近ごろ激しい衰えを感じるようになった。このまま頭を使うことを避けていたら、確実にボケてしまう。



というわけで、本当は匙を投げてしまいたいけれど、少しだけ考えてみる。その過程や結果を、ここに記す。チラシの裏でも良いのだが、書いたからには取っておきたいし、我が家は狭い。



ただし、これまで怠け放題だった私の書くことである。無益、浅はか、矛盾、n番煎じといったものばかりになるだろう。



けれど、少しでも頭を働かせることが主な目的なので、そこは仕方ないと割り切るつもりだ。今のところは。