匙を投げたいけど

匙を投げたいけど

面倒くさがりで面倒なオタクが、脳トレがてら考えたことを書いています。

紐なしスニーカーは人生を変えた

靴を新調した。紐のないスニーカーだ。



妊娠中から通勤にもスニーカーを使用し、かれこれ三年以上、紐のついたスニーカーを使っていた。紐なしのデザインはあまり見かけなかったのと、紐なしスニーカー通勤はさすがに気を抜きすぎか、と選ぶのをためらっていたためだ。



パンプスからスニーカーに変えたときも、少し勇気が必要だった。が、そのときは妊娠という大義名分があったので、比較的切り替えやすかった。震災後であり、スニーカーで通勤している女性が珍しくなくなったのも幸いだった。



スニーカーへの切り替えはそこまで苦労しなかったものの、靴紐はついていた。私は、靴紐がわずらわしかった。ちょうちょ結びはなんとかできるが、向きは一定しない。しかも力がないせいか、ほどけやすい。
「結ぶ前に紐に水を含ませてきつく結ぶとほどけにくい」と聞いてためしてみたが、目覚ましい効果はなかった。「ほどけない結び方」みたいな動画も見たが、何度見てもおぼえられなかった。



そもそもロープワークは苦手なのだ。学生時代、ロープワークの実習があった。通称トラロープ(工事現場などにある、黄色と黒の繊維で編まれた紐)がほどけないように、接着剤などは使わずに端っこを編み込むだとか、切ったり貼ったりせずに輪になった取っ手を作るだとかいう内容だ。とても難儀した。
それを身に着ける器用さがあれば、靴紐などは朝飯前だっただろう。が、残念ながら私はロープとも靴紐とも仲違いした身である。苦肉の策で、結び目を二重三重に結ぶ(結び目がごろごろになる)という力業で対応していた。



ある日の靴売り場で、自分の履いていたスニーカーの紐なし版があった。履き心地が気に入ってリピートしていた銘柄なので、思いきって紐なし版を買ってみた。



翌日から私は、靴紐に関する一切のストレスから解放された。ほどけるかもとか、結び目が汚いとか、そもそも脱ぎ履きのときに紐で調整しなければならないとか。靴紐による小さなストレスが大きく重なっていたことに気づいた。あまりの解放感に、よほどのことがない限り、紐ありのスニーカーには戻れないことを痛感した。林原めぐみさんのラジオ番組のハガキ採用記念のレインボーカラーの靴紐も、不要になってしまった。



考えてみたところ、靴紐を使いたくなかったのは自分の意思だった。けれど私はファッションに疎いため、自分ではなく一般的(?)な意見に従って、無難に生きようとしていたのだった。つまり自分より世間を優先したのだ。だから気持ちがいまいちくすぶっていたし、靴紐から解放されたらとても満足度が上がった。そもそも従っていたつもりの「一般的な意見」だって、確固たる規範ではない。そもそも存在するかどうかも曖昧だ。



その存在するかどうかも曖昧な規範から抜け出すにも、私にとっては葛藤期間が必要だった。が、いざ抜け出してみたらとても快適だった。もっと自分の意思を確認してみよう、と思わされた一件だった。



これまで私は、徹底的に自分の意思や判断をおろそかにしてきた。自分より他人に従っていたほうが良い結果になると思っていたのだ。それが自分にとって不快だとか、従いたくないとかいう反骨精神があれば、もっと早くそこから逸れていたと思う。が、わりとついていけて、なおかつ無難な結果が出ていたのだ。自分の気持ちを引っ込め、ある程度の成功を収める、という成功体験につながってしまった。自分の意思をねじ伏せる力はますます強くなった。



また自分の意思に気づくことで、我慢できなくなったり動揺したり怒りを感じたり、とにかく自分のコントロールが効かなくなることを恐れていた。だから、それらに気づかないようにしていた。よくよく思い返せば、体調不良などはあったので、意識の奥底ではついていけなくなってはいたと思う。しかし、とにかくすべてねじ伏せてきたのだった。



私は長年、自分の勘も信じてこなかった。だが、信じてこなかった期間が長いからこそ、今後は「なぜそう感じたのか」や自分の意思や考えをちゃんと確認する必要があると考えた。他人よりも自分の気持ちに疎いのはもちろん、自分の意思を通す快感も責任もリスクも、ほとんど経験せずに生きてきてしまったからだ。



心の声をすくい上げたら、恐れていたとおりに動揺したり怒ったりして、一時的にコントロールは利かなくなることもあるだろう。でも、それを乗り越え、かつ現状とどう折り合いをつけていくか、折り合いがつかないようなら次の対応策を考えるとか、そうやって進めてみよう、と思い至った。そこまで考えるのは面倒だけれど、やってみる価値はきっとある。



以前、「自分探しで旅に出ても、そこに自分はない」と書かれている本を読んだが(加藤諦三さんの本だったと記憶している)、こういうことだったのかなと納得した次第である。



紐のないスニーカーで、私は大きな一歩を踏み出した。