対面カウンセリングとメールカウンセリングのメリット・デメリット
私は、対面カウンセリングとメールカウンセリング、両方を受けたことがある。
もっと言うと、のっぴきならない状態を対面カウンセリングでなんとかして、それからしばらくしてメールカウンセリングを受けた、という経験がある。
ちなみに心療内科にも行ったのだが、私は投薬よりも話を聞いてもらうことをメインにしたいと感じたので、心療内科は最低限しか行っていない。
ただ、不眠とか起き上がる気力がないとか生活に支障が出る状態だったら、まず投薬してもらうのは有効だと思う。保険が利くのでカウンセリングより安いのはメリットだった。
さて、対面カウンセリングとメールカウンセリング、どちらも受けてみたことは確かだ。が、時系列や自分の状況が違ったり、運が良かったりもしたので、万人の参考にはならないと思う。
たとえば対面カウンセリングは心理学専攻の知人の紹介で見つけたので、素性の点では安心だったとか。
けれども未来の自分のため、またはどこかからたどり着いた誰かのためになるかもしれないので、それぞれのメリットやデメリット、感じたことなどを記しておく。言うまでもないが、一個人の感想である。
また、結果的に私はとてつもなくメールカウンセリング向きだったので、あまり公平な視点ではないかもしれない。
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【対面カウンセリングのメリット】
- 専門家(カウンセラー)が実際に自分を見てくれるので、客観的に見て自分の様子が危なかったら助けてくれるという安心感がある
- カウンセラーと実際に会ってみて、自分と相性が合うかどうかを包括的に確認できる
- 引きこもりのころは、これを理由に外出することにつながった
- 1回の相談が終了するときに次回の予約をするシステムだったので、ずるずる先延ばしするわけにはいかず、継続することができた
また、自分がかかったところがたまたまそうだったというメリットが2点あった。
- 知人の紹介だったため、ちゃんとしたところだという安心感があった
- カウンセリングと診療所が併設だったので、不眠などの場合に医師に話を通してくれて、投薬治療もあわせておこなってくれる
【対面カウンセリングのデメリット】
- 個人的に高額に感じた(けれど他のところの料金を見ると、相場通りだったと思う)
- 自分が口下手なので、話すこと自体にハードルを感じた。的確な表現を探すうちにカウンセリングの時間が減っていくので焦ってしまう
- 相談時間が終わってから「今回はあれを言い忘れた…」と思い出すことがしばしばあった
- 泣きそうになったときに困る。単純に恥ずかしいし、泣いたら時間が無駄になるし、メイクが落ちるし、とても困る
- 担当カウンセラーが出勤している日が少なかったので、外で働くようになったら仕事を半休 or 早退して行かなければならないスケジュールだった
また、自分がかかったところだからこそのデメリットは以下1点。
比較すると、メールカウンセリングのメリットはおおむね、対面カウンセリングのデメリットを解決する内容である。
【メールカウンセリングのメリット】
- 相場が対面カウンセリングより低い。なんなら無料のところもあるっぽかった
- 相談内容を納得いくまで練ることができる
- メールを書く時間さえ取れれば、いつでも相談できる。育児中で外出もままならない身としては、移動時間を取られなくて済むのも助かる
- 泣きたくなっても困らない
【メールカウンセリングのデメリット】
- ちょっと調べただけでも玉石混交なことは容易に想像でき、良いカウンセラーが見つかるかわからなかったこと
- カウンセラーがその場にいないので、相談中タイムリーに言葉が欲しいときにかけてもらえないこと
- 「納得できるまで」と相談内容を練りすぎると、いつまでもメールを出せないこと
- 相談内容が決まれば、説明は話したほうがおそらく早いが、文章だと相手がわかるように整理して書かなければならないプレッシャーが多少あること
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だいたいのことに通じるが、メリットとデメリットは表裏一体である。そしてデメリットの部分も、対策は可能だ。
たとえば対面カウンセリングでは、言いたいことをメモにして行けば良かったのだ。本気でたった今、これを書いていて気づいたのだが、時すでに遅すぎる。でも当時はかなりせっぱ詰まってたので、その気力もなかったかもしれない。
前述のとおり、私はメールカウンセリング向きだったので、メールを選択したときのデメリットはほとんど感じなかった。
口下手だが書くことはさほど苦にならず、育児中で時間の融通が利かない自分には、むしろメールカウンセリング一択だった。
もちろん、文章を書くのは好きでも、言葉が出てこなくて苦労したことはあった。それでも結果的にメールカウンセリングを選択して良かったと思っている。
ただ、対面カウンセリングを受けてみて「ここはちょっと合わないなあ」という部分がわかっていたからこそ、というのはあるかもしれない。それに対面を受けていたころは、メールカウンセリングを受けようと思ったときより緊急性が高かった。
対面カウンセリングを経て外で働けるようになり、カウンセリングを卒業してしばらく経ったある日、まだ問題が残っていることがわかった。正確には、カウンセリングを卒業した時点で、すべて解決していないことには気付いていた。だけど社会復帰のほうが優先だったのだ。
いちおう社会人として生活できるようになり、緊急の危機的状態は脱していた。そこで、ゆっくりでも良いので根本的に考えを解きほぐしたい、と考えた。
そこで思いついた解決手段がメールカウンセリングだったので、対面とメールの順番も良かったのだと思う。
私が考える、それぞれが向いているタイプは以下のとおり。
- 対面カウンセリングが向いているタイプ
話すことが気にならない人、文章を書くのが苦手だと思っている人、かなり深刻な人 - メールカウンセリングが向いているタイプ
話すより書くほうが気楽な人、時間はかかってもじっくり解決したい人
私にはメールカウンセリングがとても良かったので、それについてもいつか書きたいと思う。(→メールカウンセリングを受けた話)
なお、「電話カウンセリング」は両者の良いとこ取り手段になりうると思う。
私は電話がいちばん苦手なので、選択肢になりえなかったけれど。
冬のワンオペがつらいので、私はひたすら春を待つ
春になればワンオペしなくて済むようになるわけではない。
それでも冬のワンオペをとくにしんどく感じる私は、春を待っている。
ここで言うワンオペとは、息子を保育園から引き取り、翌朝保育園へ送るところまでを指す。
夫がシフト制の夜勤のため、週1-2回ほど私のワンオペ当番が来る。
キャパシティが仮設トイレより狭い自分は、これだけのワンオペ回数でも息切れしている。
毎日ワンオペしている各位におかれましては、尊敬の念しかない。本当に偉い! 本当にお疲れさまです!!
さてワンオペの夜の現在の流れは、
自転車で迎え → 風呂 → 洗濯・ごはん → 寝かしつけ
となっている。
スムーズにいけば、これが夜の理想の順番なのだ。スムーズにいけば。
ちなみに朝は夏も冬もあまり変わらないので、そこまで苦になってはいない。
また、第一次イヤイヤ期(?)から卒業しつつあるので、全体的に少し楽になりつつある。ヘルメットはイヤ、自転車にも乗らない、家にも入らないとごねられる日々は、まちがいなく今より大変だった。
冬のワンオペは、春や夏よりも面倒が多い。冬のせいである。
具体的に挙げると、自転車と風呂の2点がしんどい。
その1:自転車問題について。
前回も書いたが、布を扱うのが苦手な私は当然、自転車のカバーの着脱が苦手である。着脱をしたくなさすぎて、自転車を買ったばかりのころは乗ること自体を極力避けていた。
今は保育園の送迎のためにあきらめて乗っているが、冬に帰宅してから自転車のカバーをかけるのは、すっかり日が落ちたあとである。
暗いし見えないし寒いし息子が車道へ走って行かないか心配になるし。ぜんぶ冬のせいだ。
その2:風呂問題について。
冬は湯船を省略するわけにいかない。これも冬のせいである。
私は大学時代の四年間、アパートの湯船を使ったのは計3回というくらいのシャワー派だ。熱帯地方ではない。夜中は室内で氷ができる程度の、寒い地方だった。
しかし今の家もけっこうな寒さであり、息子も温めねばならないので、冬は湯船が欠かせない。
我が家の風呂はパネルのスイッチで沸かせるものではなく、お湯を溜める方式である。不動産屋さんは我々が内見した際「この物件は最新式のバランス釜が入ってるんですよ!」と胸を張っていた。むしろバランス釜にニュータイプが作られていることに驚いたのだが。
その最新式のバランス釜は、湯温の調整が難しく、帰宅してから息子をテレビ部屋へ放ち、温度計とにらめっこでお湯を溜めている。合間でごはんを温め、夕食の準備をする。
子供が肩まで浸かれるくらいまで溜めるのは時間がかかる。溜まったころに息子の興味は、遊びに向いている。
あの手この手で風呂のことを思い出させ、服を脱がせ、風呂に入らせるために15分くらいかかる。ロスタイム。その間に私のHP(ほぼ裸なので寒い)とMP(忍耐力)はガリガリ削られてゆく。
3回に1回ほどは泣きわめく2歳児を無理やり連行し、なんとか風呂で洗う。息子を湯船に放ち、自分も髪などを洗う。洗い終わると、息子の興味は水遊びというかお湯遊びに向いている。湯船から出すためにもロスタイムがあり、残りわずかだった私のHPMPはすっかり瀕死状態となる。
この瀕死状態を回復してくれるのが、息子に大好物のTKGを食べさせる間の晩酌である。
私はビールが好きだ。幸せ舌なので、発泡酒でも第三のそれでも充分に幸せになれる。ビールが好きすぎて、ビール断ちだけはしないでダイエットという無謀な挑戦もしている。
気が重い作業(自転車のカバーかけと風呂)を終え、今夜もなんとかミッションをこなせそうだという安心感で飲む一杯。これがあるからなんとか生きられる。そしてラスボスの「寝かしつけ」に備える。
風呂とごはんの順番を入れ替えることも検討はした。が、気が進まないのでまだ試していない。
晩酌タイムのあとに風呂があると思うと、純粋にビールを楽しめない。また、ワンオペでアルコールが入った状態で息子を入浴させるのも、できれば避けたい。
また順番を入れ替えると、洗濯が終わるのが、おそらく寝かしつけ中になる。そこから乾燥機に移したり、干したりする必要がある。
息子がすでに寝ているなら、あたたかい布団から出る己との戦いになり、まだ寝ついていないなら布団から出た私を追いかけてきて、さらに寝つくのが遅くなる。ちょっとイヤな試練かすごくイヤな試練かの二択だ。
洗濯を早めても、風呂で使ったバスタオルと一日着ていた服が洗濯されずに残る。私は脳内に大下勇次さんがいるので、できればなんでも一気に済ませたい。
改めて書いてみて、やっぱり自分は順番を替えたくないのだなあと思う。できない言い訳が長い。
そんなこんなで、文句を言いつつぐだぐだと春を待っているのである。
春が来れば少しは明るくなり、湯船だって省略できる。さあ来いやれ来い春よ来い。
…と思ったけど先日、少し暖かかったので湯船を省略してみたら、息子に「おふろ(湯船)はいる!」と粘られてしまった。仕方がないので10センチほど溜めてやったら、底に這いつくばるようにして楽しそうに遊んでいた。
湯船の省略は、無理かもしれない。
モッピーの漢字テストで不明な単語の読みと意味ざっくり一覧
最終更新日:2019/02/28
少し前から、ポイントサイトのモッピー(moppy)をゆるくやっている。
モッピーについての説明は、がっつり稼ぐ系のブログなどにたくさんあるようなので、ここでは「漢字テスト」だけについて触れる。
「漢字テスト」はモッピーのコンテンツのひとつである。
2019年2月末現在の漢字テストは、以下のような感じ。
▼スマホ版のみ
▼1回10問
▼1日3回できる
※3回のうち1回に限り、全問正解だともう1回できる(つまり1日最大4回できる)
▼問題が新しくなるタイミングは0時・8時・16時
※ただし例えば7:59に開始しても、ブラウザを終了または長時間放置しなければ、クリアするまで0時台の問題を継続できるっぽい
▼1回を終えると1スタンプがもらえる。漢字テストでは2スタンプ=1P=1円である(つまり1日最大2円もらえる)
※最短の時間で最大の利益を得るためには、1回だけ全問正解を目指し、あとは速さを重視してとにかく答えを選んで進む、という方法が良いと思われる
攻略法というほどのものではないが、次に進むためのボタンがときどき押せなくなることがある。
そのときは以下2種の対処法を試し、それでもダメなときはブラウザ終了 → やり直し(未解答の問題から始まる)をしている。
1,ページ内の広告をクリックしてから戻る(進める率は体感で70%)
2,ブラウザ更新(進める率は体感で80%)
私は漢字が好きなので、よくやっている。他のクイズコンテンツと比べ、自分にとっては楽しいし、割も良い気がする。
しかし読み方はなんとなくわかるが意味がわからないもの、読みも意味もまったくわからないものがけっこう出てくる。
そのままだとなんだかもやもやするので、読みと意味を自分用にざっくりメモしてみたというものである。相当ざっくりなので、あまりあてにしないでいただきたい。
今後更新するかもしれないし、しないかもしれない。
以下、読み方で五十音順になっている。
▼彙報:いほう(いろんな情報)
▼烏有:うゆう(=皆無)
▼穎異:えいい(めっちゃ優秀)
▼穎才:えいさい(≒英才)
▼鶯遷:おうせん(立身出世する)
▼苛辣:からつ(めっちゃ厳しい)
▼巌頭:がんとう(でかい岩の上。蘇る逆転のガント局長の由来はこれか?)
▼翰墨:かんぼく(筆と墨)
▼祁寒:きかん(めっちゃ寒い。祁の字、問題ではしめすへんでも「ネ」のほう)
▼鞠問:きくもん(罪を問いただす。≒詰問?)
▼渠魁:きょかい(ラスボス。=巨魁)
▼頁岩:けつがん(本のページのように割れやすい岩)
▼圏套:けんとう(わな、縄張り圏内。≒策略?)
▼梗概:こうがい(あらすじ、あらまし)
▼虞犯:ぐはん(罪を犯すおそれ。虞犯少年=非行少年)
▼正閏:せいじゅん(うるう年とそうじゃない年、本家と分家みたいな感じ)
▼孜孜:しし(熱心に励むという形容動詞)
▼悉皆:しっかい(ぜんぶ、まったく)
▼這般:しゃはん(=今般)
▼集輯:しゅうしゅう(集めて編集する)
▼儲君:ちょくん(≒王子)
▼汀渚:ていしょ(波打ち際)
▼蕪辞:ぶじ(「乱文」のスピーチバージョン)
▼紛擾:ふんじょう(もめごと)
▼袂別:べいべつ(たもとを分かつという意味はわかるが、袂を「べい」と読める気がしない)
▼茅茨:ぼうし(かやといばらという意味はわかるが、茅を「ぼう」と読める気がしない)
▼八重葎:やえむぐら(深そうな草むら、植物単体の名前でもあるらしい)
▼優渥:ゆうあく(手厚いこと)
▼尤物:ゆうぶつ(「傑物」の女性版?)
▼聯亙:れんこう(=連亘)
洗濯物を干すのが苦手なので乾燥機を買ったら、保育園生活のマストアイテムになった
布を扱うのが苦手だ。
紙ならまだ良いのだが、布がたためない。干したり、ハンガーにかけたりもうまくできない。
紙は折り目をつければしばらくそのままでいてくれるが、布はそうはいかない。もう少しこちらの都合も考えて欲しい。
もともと不器用なのである。
折り鶴だけは折れるようになったが、それは曾祖母が厳しめに指導してくれたからであった。
どれくらい布の扱いが苦手かというと、学生時代の6年間、袴が必要な部活にいたが、たたむのは一向に上達しなかった。
別荘管理のアルバイトをしていたときはベッドメイキングがうまくできず、担当を免除された。
裁縫などもってのほかすぎて、私は『王様の仕立て屋』をある種のファンタジー漫画として読んでいる。糸を一瞬で通せるとか神業だよ。大好きな作品です。日本編あたり、ドラマ化されてもおかしくないと思っているが、いざされたらキャストや演出に文句を言うめんどくさいオタクになる自信がある。
そんなこんなで洗濯物を干すのが、私のもっとも苦手な家事のひとつである。
たたむのも好きではないのだが、夫が私以上に洗濯物をたたむのが嫌いな上、私が綺麗にたためなくても文句を言わないのでありがたい。
ものが散乱するのが好きではないのもある。たためば少なくとも乱雑な印象は減る。やればすぐにすっきりしたことが確認でき、わかりやすい。
そのため自宅の洗濯物をたたむことは、なんとかできている。
余談だが、以前書いた服を買うのが苦手な理由にはもうひとつ、服をたたむのが下手だということもある。試着して合わなかった服を戻すときに、ぐちゃぐちゃになってしまう。店員さんに呆れられていると思うし、申し訳ないことこの上ない。
話を戻す。
私は洗濯物を干すことがどうにも苦手なのだ。下手だと思う。
干し終えたあとのハンガーはやっつけ仕事のかかしみたいになってるし、洗濯ばさみジャラジャラ物干しは片方だけ乗せた上皿てんびんのようになっている。
何も考えずに干しているわけではなく、むしろバランス良く干したいと思っている。
なのに、洗濯かごの底のほうから計算外のものが出てくる。仕方がないので、洗濯ばさみにつけたものを外して干し直したりする。ひどいときはそれが何度もある。この二度手間、三度手間が本当に腹立たしく、洗濯物干しへの苦手意識がすっかり定着してしまった。
ちなみに我が家の洗濯物の種類に問題があるわけではなく、夫が干したあとは物干しもハンガーも見事に平衡を保っていることを付け加えておく。
そういう私なので、妊娠して引っ越すとき、衣類乾燥機は絶対に欲しいと思った。
洗濯機はすでに持っていたので、乾燥機単品でかまわなかった。長年乾燥機を使ってきた母から「洗濯機だけ、乾燥機だけ回せるのは便利よ!」とも聞いていた。
ただ、我が夫は乾燥機が好きではなく、持っている服も乾燥機に入れられないものが多い。ので、乾燥機導入には乗り気ではなかったようだが、ならば自腹ででも買ってやるという覚悟をもって夫を説得した。
夫は洗濯物を干すのは嫌いではないらしいのだが、夜勤仕事なので、私がどうしてもワンオペ=洗濯物を干す日が発生するのが明らかだった。
最終的に我が家は、家計費での乾燥機の導入に成功した。
ちなみに母のイチ押しはガス乾燥機だったが、引越し先は賃貸物件なので、壁に穴を開ける必要のあるガスは無理だった。でもガスでも電気でもとにかく乾燥機が欲しかったので、大きな問題ではなかった。
夫はあいかわらず、自分の服はあまり乾燥機には入れないが、乾燥機に不満はなさそうだ。
私は何より、保育園で毎日出る洗濯物が翌朝までに乾く、ということがありがたくて仕方がない。
電気代はかかっているのだろうが、引越しとほぼ同時に乾燥機を入れたので比較対象がない。そして私の物干し嫌いは乾燥機の電気代を度外視するレベルだ。感謝こそすれ、文句などあろうはずもない。
そんなわけで、衣類乾燥機の導入は微塵も後悔していない。
状況が許すなら、便利家電はどんどん導入して良いと思っている。
ひとつ、気付いたことがあった。
特定の家事が苦手すぎると、便利家電の導入もデメリットを度外視できる。
が、却って「どちらかといえば苦手だけど、忌み嫌うほどでもない」レベルの家事だと、便利家電の導入をためらってしまうなあと感じている。
たとえば私にとって、掃除がそれだ。
お掃除ロボットに興味がないわけではないが、「がんばれば掃除はできないことはないし、我が家は段差が多いし、カーペットだから使えるかわからないし、家具やおもちゃも多いし…」と、導入できないことへの理由ばかり挙げてしまう。
そして結局がんばれていないので、我が家は汚い。
ド近眼の私にも、さすがに危機的状況が見えてきた。
ストックしすぎる症候群(仮)とささやかな対策
昨年からものを減らしたいと言いつつ、腰が重かった。
でも先日、こんまりさんの片付け本を読み返したので、かなりうずうずしてきた。さすが魔法の本だ。
ただ、まとまった空間や時間がないので、できるところから手をつけている。
もちろん、そのうち大規模な片付けもしたい。けど、それまでに減らせるものを減らすのは無駄ではないはずだ。
ものを捨てにくいことについては以前も書いた。が、私がものをためこんでしまうのはもうひとつ、「ストックしすぎる症候群(仮)」のせいもある。
私のストックしすぎる症候群(仮)は「不安」「記憶力不足」「面倒くさがり」の3つが原因ではないかと考えた。
その1「不安」について。
市販のもので気に入るものが少なく、しかも製造中止の憂き目に遭うことが多い。
自覚はないが、こだわりが強くて好みが一般的ではないので、供給側としては採算がとれないのだろう。
しかし製造中止が続くと、気に入ったものとめぐり会えたとき、もう二度と会えないのではないかと不安になる。
買いだめの大きな原動力だ。
その2「記憶力不足」について。
ストックが増えるとごちゃごちゃしてくる。
自分がどれくらいの量を持っているのかおぼえておけず、買い足してしまう。
ストッカーがさらにごちゃごちゃし、必要なものが足りているかどうか把握できなくなる。
あると思っていたものが足りなくなってしまい、それに懲りて買い足し、ますますストックが増え…という悪循環におちいる。
その3「面倒くさがり」について。
ダイエットのときにも自分と向き合うことを面倒がっていたが、片付けも同様だった。
自分の適正量と向き合ってこなかった。
さて、対処法も考えた。
増えすぎたストックは一気に手放してみるのが良いという説がある。
おそらくそれが最適解だろうとは思うが、そこまでの勇気がない。また、万年手元不如意である。
そのため、まずは「使う」「買い足さない」に尽力することにした。幸い、使い切れないほどのストックはない。
そして、自分なりに一定量を決めてみた。
しばらくこれで運用してみて、適正量を把握していくつもりである。
こうして買い足すのを我慢していたら、洗面所下のスペースが少し空いた。ので、思い出したときにそこを眺めて悦に入っている。
実はこれ、自分にとっていちばん有効な片付け手段だと踏んでいる。
小さな目標を置いて、そのたびに自己満足するのだ。
おそらく片付けに限らず「ぼくのかんがえたさいきょうの目標達成法」になると見ている。オリジナルじゃなくて、そういったノウハウはそこらじゅうにあるけど。
まずは片付けにくじけないよう、小まめにいい気になろうと思う。
大柄で育児中な私は、ときめきでは服を捨てられない
世の中は、素晴らしい片付け本であふれている。
私も片付けに関する本を10冊は読んだ。
その中でもおそらく有名な本である『人生がときめく片づけの魔法』byこんまりさん。
私も買った。紙でも電子書籍でも買った。
うなずける部分もある。尊敬もする。この本を忠実に実行すれば、きっと片付くんだろうな、と説得力も感じる。
けど、いろんな意味で今の私には無理だった!!!
こんまりさんいわく、順番を守らないと片づけは失敗するとのこと。
その順番は、服 → 本 → 書類 → (以下略)
というわけでまずは服なんだけど、さっそくここで挫折。
服は難易度が低めで四天王の最弱らしいが(こんまりはそんなこと言わない)、むしろ私には難易度が高かった。
今回は、そうなった個人的事情や言い訳を書き連ねたいと思う。
こんまりメソッドでは、選択基準が「ときめき」。
ときめきといったらメモリアルな私には最初からよくわからないので、とりあえず「気に入っているか」とか「着ると気分が上がるか」みたいなふうに変換してみた。
気に入っていた服、なら少しはわかる。
先日、気に入っていた仕事着2着に穴が空いて、泣く泣く処分したばかりだ。
ただでさえ一軍の服が減っているので、これ以上捨てたらたぶん仕事に行けない。
これ以上捨てたら、オバQかと陰口を叩かれるほど毎日同じ服を着ることになると思う。
決してジョブズだとは言われない。だってそれ陰口じゃないし。けどオバQも人生は私より成功してそうだな。すみませんQさん。
そもそも、服のことを考えるのが好きじゃない。
縦も横もビッグな私は、服を買いに行っても体型のせいでサイズがないし、体型のせいで試着も面倒。
自業自得だけど、服を買いに行ったり、ファッションのことを考えるのはすっかり苦行となった。
10年ほど前、自分のサイズがあってデザインもけっこう好きな服屋を見つけて、ファッションを楽しむ人の気持ちが少しわかったけど、基本的には面倒くささが先に立つ。
そして昨年、その店は婦人服から撤退した。
私は、ただでさえおぼろげだったときめきを見失った。
あとストッキングやタイツにときめける自信がない。
こんな状態なので、もし服を捨てすぎてもすぐに代替のものが買えるとは思えない。
また育児中なので、服を買いに行く時間がない。
行けたとしても、試着中におとなしくしていてくれない。2歳児はノンストップ GO GO GO。
さらに育児中なので、わりと気に入っている服はたいてい、子供と遊ぶときには着られない。
今は着られない、でも気に入っている、という服はそこそこある気がするんだけど、ときめき?基準にしたらそれは捨てられないものになるのではないかと思う。
こういった意味でも、服をあまり減らせない。
また、センスがないので、似合う服と着たい服が一致しない。
年齢も絶妙に微妙なお年ごろ。ところであれ何なの、いい年になったらそれなりにいい服を着なさいってやつ。年齢と収入が比例しない人間には無理ゲーだろ。
さらに、子供を産んだら体型も顔も変わるというのが定説らしいが、そんなものがわかる才能を持ち合わせてはいない。
自分(のファッションセンス)が信じられないので骨格診断を受けたら、ほぼすべての飾り袖が似合わないという結果になった。
あと「これは気に入ってるし似合う」と鉄板扱いだった袖の形も骨格に合わないことがわかり、自分の趣味と骨格が乖離していることも証明されてしまった。
以上より「ときめき」で服を捨てるのは、私には致命的に向かないと言える。
ダメ押しで、私は非正規雇用なので、数年おきに職場が変わる可能性が高い。
これまで数多の職場にお邪魔してきたが、オフィスの気候は会社によってかなり違う。
現に今は寒い職場なので冬服が手放せないが、冬服が不要だと感じる職場も少なくない。
つまり働いている以上は最低限、仕事に行く服が必要なので、ときめきより計算が私には必要だと感じてしまう。
とくにストッキングやタイツはある程度持ってないと困ると思う。
あとストッキングやタイツにときめける自信がない。
というわけで、ときめきメソッドにツッコミを入れるつもりで読み返したこんまりさんの本。
やっぱりめちゃくちゃ合わない部分も疑問もあった。
けど、読んだら少しずつでも片づけたくなってくるのが、この本のいちばんの魔法かなと。
料理をしたくない自分を認めたくなくて悪あがきした話
今年は料理を極力しないため、料理をしている。作り置きではない。
矛盾しているようだが、まあ聞いて欲しい。
私は料理が苦手である。センスもないし、やる気もない。
食べることやおいしいものは大好きだが、自分が手間や時間をかけてまでおいしいものを食べたいとは思わない。
猫舌のせいか、できたてを食べたい欲もない。
インスタント食品が好きだし、外食はもっと好きである。
お金と太らない身体があれば、いくらでも外食していると思う。
ちなみに学生時代、「お金がない」プラス「料理に手間をかけたくない」という生活をしていたら人生でいちばん痩せた。
あるときは白菜の浅漬けだけで三日三晩過ごした。
あるときはだしを入れたお湯につけてふやかした高野豆腐(煮ることすら面倒だった)を1個だけ弁当にした。
料理の手間的には楽だったし痩せることもわかったけど、さすがにもうできない。
当時は若かったこともあり、たまたま身体を壊さずに済んだだけだ。
こんな私だが、料理が苦手なままで良いと開き直っていたわけではない。
むしろ罪悪感はあって、かれこれ10年ほど格闘した。
レシピは書籍もインターネットも利用して、なんとかしようとした。
罪悪感を埋めようとして、レシピ本はけっこう買った。
しかしレシピを選ぶというのも、料理センスの賜物だと痛感するばかりであった。
レシピの選択基準が「できるだけ簡単そうで材料も少ないもの」で、足りない材料は足さず、面倒そうな手順をさらに省略するせいかもしれないが、できあがりはだいたい微妙である。
そもそも、足りない材料をなにかで代替できるのもセンスだと思う。
そこまで壊滅的にセンスがないのに、私は離乳食にも挑戦してしまった。
また懲りずにレシピ本を買った。やさしいという触れ込みのものを選んだ。
トマトは皮と種を取って与えろと書いてあった。
料理をする回数はできるだけ少なくするため、冷凍ストックがたくさん欲しかった。
そこで約1週間分を見込んで3個ほどトマトを煮込んだが、皮と種を取ったら製氷皿の氷3個分しかできなかった。
料理上手な先輩ママから「トマトの種なんて下から出てくるから大丈夫だよ…」となぐさめられ、私は本を投げた。
息子は市販の離乳食ですくすく育った。
離乳食が終わった今は、料理上手な夫の作るごはんですくすく育っている。
そうなのだ。私が手作りするより市販のほうが、はるかにおいしいのだ。
それなのにバレンタインで夫に希望を尋ねたとき、「手作り」の選択肢を入れてしまったときは本当にうっかりだった。
手作りっぽいキットでなんとか体裁は整えたが、迂闊な自分を呪った。
ごはん用手作りっぽいキットこと、惣菜の素。
市販されているだけあって、私はまんまとパッケージ写真につられた。
これなら自分にもできるかもしれない、と錯覚してしまうのだ。
ここでもできるだけ材料が少ないもの、手間が少ないものを選ぶ。
とくに玉ねぎを刻まなくて済むという点が最重要である。
玉ねぎ、あれは兵器である。硫化アリルめ。
催涙成分への憎しみはさておき、「惣菜の素が2個でお得に!」などというときはさらに罠にかかりやすくなる。
そのときは「割引だし、新しいものにも挑戦してみるか!」と買ってしまう。
「作ってみておいしかったら儲けものだし!」などと、楽しい気分にすらなる。
が、やる気はそのときが最大瞬間風速だ。
のちにストッカーの中で賞味期限が近くなっているのを見つけ、当時の自分に呪詛の言葉を吐きまくって消化する羽目になる。
そんなことを10年ほど続けてきて、やっと悟った。
私に壊滅的に欠けているのはセンスだけでなく、料理への熱意だ。
どうごまかしても、私は料理が好きになれないし、材料は揃ってもやる気は揃わない。
そろそろ未来の自分へ負債を回すのはやめよう、と決意した。
幸い、我が家は夫が料理上手なので、私が無理して料理をする必要がない。
というわけで今、自分をごまかすために買い込んだストックを減らすべく、料理中なのである。
このストック消化作業が終わったら、やる気と時間があるとき=そのあと一気に料理できるときにのみ材料を買うことにする。
ところで消化作業中の収穫として「うちのごはん きんぴらそぼろ春雨」は簡単でおいしかった。
準備する材料はひき肉だけで、私にさえ作れた。
ので、これはまた作るかもしれない。
あくまで、やる気と時間があるときだが。